e−たわごと No.007

投稿日 2002/11/28  あるお葬式     
寄稿者 八柳修之
あるお葬式             

 11月も下旬にもなると喪中年賀欠礼の葉書が届く。多くは親を亡くしたというものであるが、なかには配偶者を亡くした方、働き盛りの息子に先立たれたという気の毒な方からのものもあった。
 母方の叔父が2月、脳梗塞で亡くなった。叔父には子供がいなかったので、時間のある私が取り仕切ることとなった。叔母によると、叔父は生前から無宗教で内輪でお葬式をしてくれと常々口にしていたということで、その意向に沿うことにした。
 私は、友達とか知人に知らせた方がよいのではと叔母に勧めたが、「生前、友達や知人へのお知らせは、葬儀の後でよいと言っていたので、その通りにしましょう」という。最もほとんどの友達はもう亡くなり、例えおられたとしても、寒中、お知らせするのも憚れた。結局、普段、ほとんど交流のない甥と姪、その連れ合い15人余りを集めお葬式をすることになった。

 これには、いくつかの問題があった。会葬者が少ないので、自宅で行えばよいのだが、叔父のマンションではお葬式はできない取極めになっていた。ために斎場で行うこととなり、仏さんが自宅に帰ることはなかった。
 手回しのよい葬儀屋さんが「無宗教なそうなので祭壇はいかがしましょうか」と聞く。叔母は考えた末、棺の廻りをお花で飾ることにした。生憎、お花の季節でなかったので、見積ると結構なお値段であった。「祭壇なら何回も使えるから、安いんですよ」と葬儀屋さんが言った。
 さらに問題なのはお葬式の形式・内容であった。「無宗教でやってくれ」というメッセージは残されたものの、お葬式の内容については全くなにもなかったからである。仏式ならば坊さんを呼び、お通夜があり告別式がある。「無宗教のお別れの会なのだから通夜と告別式と式を二回やる必要がないのではないか」とある者が言った。正論であるが、叔母は迷った末、両方行うことにした。
 このあたりから、一体、無宗教とはなにか、結局、お坊さんを呼ばないだけではないか、という話になった。仏式なら坊さんが来て、なんやら判らなくとも神妙にお経を聴き、お線香を上げると、なんとなくお別れ、厳粛な気持ちになり、時間もかかりお葬式をしたという感じがするものだが、各自、供花して、あっという間におしまい。これではいけないと思い告別式では、従兄頭に思い出話を語らせ、ラジカセで勝手に選曲したCDを流したが、それでもあっという間におしまい。はるばる秋田の田舎からやって来た者は「こりゃ一体なんだね」と言い出す。叔母は「喪主は私なんですから、とやかく言わないで」と今にも泣き出しそうな始末である。見かねた葬儀屋さんが、「2〜3人のお葬式だってありますよ。要は喪主さんがよければそれでいいんです」と取り成した。

 ともあれ、お葬式が終わり、叔母を野沢のマンションまで送った。生前、叔父が使った書斎を見せてもらった。そこで、叔父がNHKのドイツ語、フランス語、スペイン語、中国語講座、はてはハングル語まで勉強をしていたことを初めて知った。しかし、叔母は飛行機嫌いで、夫婦で一度も海外旅行をしたことがなかったという。なんのために語学を勉強したのだろう。叔母も疑問に思って訊ねたことがあり、そのとき叔父は「勉強には目的がない」と言っていたそうだ。カッコイイが、果たしてそうだったであろうか。晩年、楽しく愉快な人生だったろうか。私には暇を持て余し、ボケ防止のために語学を勉強していたとしか思えない。そしてハングルの次はもう学習する語学がないと思っていたかも知れない。
 さらに驚いたのは、書棚に仏教関係の本が沢山あり、般若心経を写経していたのであった。本当は、叔父は熱心な仏教徒だったのだ。考えるに、仏式ではお盆とかお彼岸、○周忌など、お寺さんとの関係が生じる。残された叔母のことを考えて、そのような行事を行うことは大変と考えて無宗教でと言いたのであろうと、これも勝手に想像した。

 5月の連休過ぎ、富士霊園に納骨に行った。お墓は生前手当てしておいたものである。叔母の話によると、叔母の死後30年、自動的に集合墓地に移されるとのことであった。叔母はその後、マンションを引き払い終生介護の老人ホームに入居した。そこではお葬式も出してくれるので、もうお世話になることはないと言った。
(11・28)

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