e−たわごと No.011

投稿日 2002/12/09  最後の杯(2)
寄稿者 八柳修之
最後の杯(2)

 阿保さんのライブはいつも新宿のNSビルにあるシャンソニエ・ミノトールという50〜60人程度しか入らないライブハウスで行われる。タンゴは小さなライブハウスで直に聴くのが相応しい。阿保さんはいつも、歌う前に必ずタンゴの歌詞の意味を大まかに説明してから「みなさん、自由に場面を想像しながら聞いて下さいと」いう。

 毎回元気で歌うそんな阿保さんにも、健康上の理由から公演を中止せざるを得ない時があった。93年12月のディナーショウでは「私は明日、前立腺の手術のため入院します。お腹に力が入りませんが精一杯歌います。今日は歌手生活最後の歌になるかも知れません」と言って、オートラ(アンコール)にはウルティマ・コパ(最後の杯)を歌った。阿保さんはてっきり癌だと思っているような口ぶりであったので、歌詞の意味は別にして、最後の杯とは気になる選曲であった。
 94年は二度目の手術と入院生活で歌手生活を放棄せざるを得ない寸前まで追い込まれた阿保さんであったが、95年6月、見事に復活した。ノスタルヒアスを歌ったとき、「今日の会場は暑いですね」と言ってハンカチで顔をぬぐった。しかし、それは汗でなく涙であったことは誰の目にも明らかであった。帰り際、「娘が立教に入りましてね」と嬉しそうに紹介した。復活の日とあって奥さんと娘さんが心配して付いてきたのだった。

 97年12月のライブは、還暦を機に制作した阿保さんの集大成ともいうべきCDの発売記念会であった。CDのタイトルはmanana zapra un barco(明日は船出)であった。阿保さんは、「還暦を迎えて私の新しい船出ですから、こういうタイトルを付けました」といって、初めてサングラスを外した。みな初めて見る阿保さんの素顔であった。「いい男じゃない」とどこかのオバチャンが言った。みな拍手した。アンコールはやはり「最後の杯」であった。阿保さんはいつも最後のつもりで全力を注いでいるのであろう。
 それから、98年から2001年12月まで歌い続けた。いつもノスタルヒアスから始まり、最後の杯で終わった。そして、もうサングラスは外した姿で歌い続けた。

 今年の6月、この時期開かれるライブの案内がなかった。気になったので手紙を出したら、NHKの仕事をした後、脳血栓で倒れリハビリ中でもう歌えないという電話があった。NHK金曜時代劇、山田風太郎からくり事件帖のバックミュージックをコバのアコーデオンで自作のVIENTO (風)を歌ったという。ビクターから発売されたので買い求め聴いた。日本語で作詞しスペイン語で歌っている。その歌詞は、阿保さんの生き様そのものであった。
 12月、日本No.1のバンドネオン奏者、京谷弘司カルッテトの演奏を聴きに行った。だが、歌い手はいなかった。やはり歌い手があってこそタンゴである。

風(VIENTO)
 過ぎゆく人生は川の流れのようなもの  風にのせて私らに自由をもたらすもの
それはいつの世にも神が思し召される運命  私の愛と信念は何処にあるのか?
以下略  (12・9)

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