e−たわごと No.014

投稿日 2003/01/23  調査レポート 「鍵屋」
寄稿者 八柳修之

 浅田次郎の「壬生義士伝」は読んだが、映画はまだ観ていない。映画化されると、往々にして自分の持っていた原作のイメージと違うものだ。だが、作品の中に「雪解けの岩手山、南に早池峰、北には姫神山。北上川と中津川の合わさる先に、不来方の御城が」なんてあると、例え映画評はよくないにしろ、懐かしさ半分もあり、わが町の映画館で上映されれば是非観てみたいと思っている。

 小説の面白さは別として、二つ関心を持ったことがあった。一つは随所に見られる盛岡弁、そして鍵屋の存在である。貧しさから南部藩を脱藩し新撰組に入隊した吉村貫一郎が、守銭奴と蔑まれても妻子のために仕送りを続けた。
 その仕送りは京都三条室町の鍵屋、南部藩随一の豪商「鍵屋」の出店を通じて行われたことである。南部藩は戊辰戦争で賊軍となり敗戦、新政府から70万両の献金を迫られ鍵屋が用立てたという。
 この京にまで出店をもつ鍵屋とは一体、どんな豪商であったのか。たしか肴町に「鍵屋」という酒屋があり、村井という姓であった。肴町の村源薬局は村井姓、近江商人であることは知っていた。とすれば、鍵屋も近江商人であったのであろうか。

 元の勤め先の同僚で親しくしている友人に駒井義明さんという人がいる。付中7回生でご兄弟5人とも付属、義兄は元一高の音楽教師高橋功宣先生である。彼は近江商人末裔会の会員でもある。彼に「知っているかい」程度の軽いメールを出したところ、2〜3日して、詳細なリポートが送信されて来た。しかもわざわざ、岩手日報にまで問い合わせまでしたとのことであった。このまま、私限りにするのはもったいないので、ご本人の承諾を得て全文掲載することにします。以下、ほぼ原文のママ。

「鍵屋、村井茂兵衛は、南部藩の筆頭御用達商人で、鳥羽・伏見から戊辰戦争にかけ藩の戦費調達・戦後処理に奔走、明治政府の疑獄事件「尾去沢銅山事件」の犠牲となって破産した(長州藩出身の井上馨等の暗躍といわれる)こと、紺屋町に広大な屋敷があったことなど分りました。
 岩手日報の「風土計」(2002年月1月20日)によれば、第1回松本清張賞受賞の葉治栄哉氏による「鍵屋茂兵衛物語」が昨年1年間にわたり連載された由。日報に問い合わせたところ、次のような回答がありました。

「出自についてです。ご承知のように南部利直は、北前船商人団を優遇し、近江商人系を積極的に招きました。その中、鍵屋は毛色の変わった出自だったそうです。
鍵屋の遠祖は紀伊国海草群関戸(和歌山市関戸)の関石見守の三男国教という武人だったそうです。国教は関ヶ原の戦いに加わったが、敗れ、青森県の三戸に落ちのび、後に盛岡に移住。国教の子孫は、近江屋市右衛門の店に仕えて商いを見習ったそうです。このくだりは、1月20日付の「鍵屋の成り立ち」からの引用です。
岩手日報社学芸部 小原 守夫」

 南部藩の上方商人優遇策に応じ、近江の国高嶋郡大溝(現在高島町)出身の村井新七(村井家は元浅井氏家臣の武家)が来たのが最初。これが受け皿となって新七と同族の小野権兵衛(「近江屋」)、や村井市兵衛(「村市」)が次々にやってきた。
 この3人が大溝系近江商人の三始祖と呼ばれ、南部藩の近江商人の中心となっている。従って、近江商人の代表とされる八幡商人、日野商人、五個荘商人、八日市商人など湖東商人群に対し、南部藩の近江商人は湖西の高島郡出身者(高島商人、大溝商人などともいわれる。京都の高島屋など)が中心。

 手元の「近江商人 東北の末裔たち」(近江商人末裔会版)によれば、・・・「村市」の一族分家には「村市清八」、「村井源兵衛」、「村井市右衛門」、「村井三治」、「村井市助」などがあり、のれん分家は非常に多く、材木町の「近江屋伝兵衛」(「近伝」のちに「近勘」)、鉈屋町の「近江屋藤兵衛」(「近藤」)、紺屋町の「鍵屋茂右衛門」(茂兵衛の先祖)などの有力商人を出した。
・・・現在の上の橋町(紙町)村井家の先祖の村井本家からは多くの分家が独立したが、中でも志和分家からは6つの有力な分家が独立し、さらに京都の名門「鍵屋」を系列にくわえるというめざましさだった。
・・・志和系村井家からはこのように多くの分家が独立して、盛岡、志和、郡山、京都を結ぶ系列店が生まれた・・・後には「近江屋」、「鍵屋」(盛岡)は村井を、「井筒屋」、「京都鍵屋」は小野を名乗るようになった。などの記述が見られます。

 我が家のお寺は北山の願教寺ですが、親戚をはじめほとんどの近江商人系のお墓があり、「鍵屋茂兵衛」の墓もあったと記憶しています。大変お恥ずかしい次第ですが、遅くなりましたがとりあえずのご返事とします。  駒井 義明 」

 オショスなんてとんでもない。すばやい調査で恐れ入ります。こちらはろくに調べもせず安易に人に聞いたことを恥じています。
盛岡のみなさんは、オベデいることかも知れませんが、こうやって調べごとをするのも、老後、知的好奇心満足させ頭の体操になりますね。
(八柳 修之)

 関連サイト : 近世こもんじょ館いわての歴史文化

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