e−たわごと No.016

投稿日 2003/02/03  足利紀行
寄稿者 工藤 力

足 利 紀 行
元3年B組
工  藤   力
 霜月中旬に、栃木県足利市の栃木県立足利工業高等学校で開催される特許庁主催の工業所有権セミナーでの講演が予定されており(工業所有権については、末尾の注を参照)、家の一間を改修したホーム・オフィスで要旨、資料等の作成をしていました。一服しようとリビングルームに入ると、偶然にもNHK総合テレビで我が国最古の学校といわれている足利学校で保管している文書を虫干している映像が流れていました。足利市に出掛けることになっていたので、映像を見ながら講演の前に足利学校を訪れる意を強くしました。その後、足利工業高等学校には、我が国の意匠第1号が保管されているとの情報が得られたので、講演後に閲覧を希望し、快諾されました。
 当日は午後1時30分から約2時間の講演が予定されていたので、通勤ラッシュを避けて久し振りに朝早く家を出ました。浅草駅から東武伊勢崎線の「特急りょうもう」で、晩秋の陽射が降り注ぐ関東平野を横切って約70分、足利市駅に到着しました。
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 足利学校は東武伊勢崎線の足利市駅から徒歩15分のところにあり、国の指定史跡になっています。受付で入場料を支払うと模様入りの厚手の和紙に「日本最古の学校 足利学校入学証」と記載された紙片(学校内に料金を支払って入場した証明書?)と案内のパンフレットが手渡され、その入学証の裏面には記念のスタンプを押すことができるようになっています。
 足利学校は、市道の石碑(写真1)から入った所にあります。足利学校の設立については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説等の諸説がありますが、鎌倉初期に足利氏の2代目足利義兼が一族の学問所として設立したとする説が有力です。1532年から1554年の天文年間には、全国から約3000人の学生が集まり、儒学を中心に易学、天文学、兵学、医学等の実用的な学問が教授されていました。
 豊臣秀吉、徳川家康に重用された医師の曲直瀬道三の師である田代三喜、徳川家康の信任が厚く、上野寛永寺の開祖となった天海僧上等もこの足利学校で学びましだ。当時、フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も有名なる坂東の大学」として海外に紹介され、足利市は中世における我が国学問の一大中心地として栄えました。
 足利学校の学校門(正門)の両側には大きなイチョウの木があり、黄金色の葉を付けて迎えてくれました(写真2)。学校門をくぐると広大な敷地に八棟の建物があり、学生への講義、学校行事等を行う方丈(写真3の前の建物)、食堂(庫裡)等日常生活が行われた棟(写真3の後の建物)があり、平成2年に江戸時代中期の姿に再建されました。これらの建物の前後には南庭園と北庭園があり、いずれも池と築山からなる築山泉水式庭園です。南庭園は鶴が羽ばたくように見える入り組んだ水際、北庭園は亀のように見える水際になっています。
 建物の一つ収蔵庫には、4種77冊の国宝、8種98冊の重要文化財、その他宋時代の漢籍、元、明、朝鮮の本、我が国の古写本等2000冊が保管されています。方丈の中には、当時使用されていた書籍のいくつかが展示されており、褐色化していましたが和紙に筆で書かれ、太い糸で頑丈に綴じられた書籍に見入っていた当時の学生の姿が想像されました。
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 講演終了後、足利工業高等学校の工業資料館に保管されている我が国の意匠登録第1号「雲井織」(コピー)を閲覧しました(意匠については、末尾の注を参照)。我が国最初の意匠法である「意匠条例」は、明治21年(1888年)12月18日に公布され、明治22年2月1日から施行されました。特許庁のホームページから、「雲井織」の意匠は、明治22年5月に登録されたものと認められます。
 「雲井織」の創作者は、須永由兵衛氏(現在の足利市家富町に居住していた)であり、この織物は、1メートル当たり400〜450回の撚り綿糸を縦糸に、1メートル当たり900〜1000回の撚り綿糸を横糸に使用し、1センチメートル当たり34〜36本の密度の縦糸、1センチメートル当たり16〜18本の密度の横糸で変化平織(変化うね織)され、1平方メートル当たり140〜160gの目付が施されており、吸湿性に富む綿素材を使用した縦縞模様(小星紋)に特徴があります。
 この「雲井織」は、平成14年4月10日付下野新聞に掲載ているとおり、足利工業高等学校の倉庫から発見され、栃木県内で大きな話題になりました。足利工業高等学校の工業資料館には、「雲井織」の他に意匠登録された7件の織物[第7号(和合絣:絣はカスリを意味する)、第15号(千鳥綾:綾はアヤを意味する)、第25号、第27号(錦線織)、第29号、第45号、第48号(新玉織)と第50号(黄金織)。ただし、第25号、第29号と第45号は実物が存在しない]が保管されています。
 このように当時、足利市の織物業者は我が国の織物の先端的な役割を果たしていたことを知ることができました。
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 講演で出掛けた各地で、いろいろな物を見ることができ、専門分野や業界が異なる人々と会話をすることができるので、見聞・知識が広がり、人生が豊かになったように思われます。

写真1

市道の石碑
写真2

足利学校の学校門
写真3

学生への講義、学校行事等を行う方丈(手前の建物)
食堂(庫裡)等日常生活が行われた棟(後側の建物)
【注】
1)工業所有権
 工業所有権は、特許権、実用新案権、意匠権と商標権の四つの権利をいいます。明治時代とは異なり、最近では工業ばかりではなく、輸送業、広告業、ソフト、サービス業等物を生産しない産業も含まれるようになったので、産業財産権と呼ばれています。
2)意匠
 意匠は、物品の美的な外観を求めて創造されるデザインであり、前記の織物の他、車、鞄、宝石、眼鏡等、意匠権のある物品が我々の身の回りに沢山存在しています。

参 考 資 料
1)史跡足利学校管理事務所作成資料
2)足利市商業観光課・足利市観光協会作成資料
3)特許庁編、「工業所有権法令集」、第55版、社団法人発明協会、2000年9月
4)特許庁ホームページ
5)栃木県工業課工業振興係作成資料
6)長澤規矩也ら編、「新明解漢和辞典」、第2版、三省堂、1981年

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