e−たわごと No.018

投稿日 2003/02/05  祈り 7人の宇宙飛行士へ
寄稿者 田口絢子

1998年、5月1日から18日まで国際親善のための友情交換 プログラム
(何組かの夫婦、家族がお互いにそれぞれの国を訪問しあいホームスティをして親善を深める)で国際ロータリー第5890地区テキサス・ヒューストン近辺に滞在した。

私たちのグループは盛岡から私たち夫婦、大船渡 鈴木ご夫妻、大船渡 田村ご夫妻、花泉から2名の女性ロータリアン計8名、初対面ながらロータリアン同士ですぐに旧知の仲になって旅立った。

ブッシュ国際航空に着いたその日からお別れの日まで私たちは5890地区のロータリアンの暖かいもてなしを受けたがその中でも一番忘れないことは5月11日NASAへの見学の日のことだった。
その日も朝早く各ホストファミーに分散していたメンバーがそれぞれの家から集合して、そしていつものようにロータリアンの運転の車に乗ってNASAに向かった。

広大なテキサス、ヒューストンから結構長い距離を走ってNASAのスペースセンターに到着した。今回の友情交換をテキサスに決めたのは団長の鈴木さんの長年の夢がNASAだったことから。
宇宙への夢、未知への人間の可能性、宇宙飛行士への憧れ・・・
今それが現実となって私たち8名はスペースセンターの前に立っていた。

入り口で待っていると案内役のロータリアンが「Surprised Surprised」といってニヤニヤ笑ってる。私たちは冗談に「宇宙飛行士でも出てくるんじゃないの」といってるところになんと若田光一さんがにこやかな笑顔で現れたではないか。もうその時の興奮、私たちは感激のあまり涙涙・・

一般の見学コースではなく特別に私たちだけのために若田さんがスペースシャトルの中を案内してくれた。
毛利さん、向井千秋さん、そして目の前にいる若田さんはいよいよ次の年は宇宙へと飛び立つ。日本人の活躍ぶりはテキサスのロータリアンへちょっと誇らしく自慢だった。
船外活動に時使用するアームなども実際に触って(勿論本物ではなく模型だったが・・本物と同じ物)ますます宇宙への夢が身近に感じられたひとときであった。

主人が「何歳ぐらいまで宇宙飛行士になれますか」と尋ねると「年齢には関係ありません。緊急時の対応が敏速に出来ることとあらゆる困難から脱出できる体力、いわゆる危機管理が出来る人」という答えだった。
さらに「重点的にどんな訓練をしてますか」との問に若田さんは「緊急脱出の 訓練の毎日です」と答えられた。

2003年1月16日10時39分、人類の夢をのせてスペースシャトル「コロンビア」号はフロリダ州ケネディ宇宙センターから打ち上げられた。
着陸予定時間は2月1日午前9時16分の予定。着陸態勢に入ったのが8時15分、
ケネディー宇宙センターでは乗員の家族たちが出迎えのために待機していた。
59分地上との交信が途絶え、そして地球を目の前にした「コロンビア」号はその任務途中で空に散り待っていた家族との再会を果たすことが出来なかった。

日本中の誰もが日本時間2日、真夜中の0時のテレビに釘付けになったでしょう。
主人と私は殆ど一睡もしないで朝を迎えた。緊急時の脱出・・・間に合わなかったのか・・と
悔し涙が溢れた。パラシュートで降りられないの!!とテレビに向かって絶叫する。

翌日の新聞は無惨なヘルメットの残骸を映し出し、テレビでは7名の搭乗員の笑顔が映し出された。
今はもう永遠に宇宙のどこかで遊泳してる「コロンビア」を想像するしかない。

「イスラエル人の宇宙飛行士が加わったことは無限に広がる宇宙の中に置いて我々人類がこの世界をよりよいものにするために何が出来るか何をしなければならないかを我々人類に示す目的がありました」
フロリダにいるロータリアンの友人の私のお悔やみに対する御礼のメールのなかにあった言葉です。

勇敢な7人の宇宙士の冥福を心から祈り、その死を無駄にすることなく今後の宇宙開発が更に世界の平和のために続けられることを、そして世界が本当の平和になることを心から祈っています。
 

若田浩一さん(左から4番目)を囲んで
 

若田光一さん(後列右から2番目)と
スペースシャトルのミッションクルー

(注)今回のコロンビア号事故のクルーではありません
 

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