e−たわごと No.023

投稿日 2003/03/21  駄菓子屋
寄稿者 八柳修之
駄菓子屋

 鎌倉の材木座5丁目で、いまどき珍しい駄菓子屋さんを見つけ、思わずシャッターを切りました。ガラス戸が一寸開いていたので、中を覗き込んだが、お客はおろか、店番もおりませんでした。こんなとき、盛岡では「もっす」と言ったんですね。
 お店の名前は「アメリカヤ」、終戦後、オシャレなつもりで付けたんでしょうか。もし戦後からあったお店とすれば、もう半世紀以上も続いているわけである。でも今の子供たちは、こんな(失礼)お店に来るのでしょうか。

子供の頃、駄菓子屋さんは宝庫であった。お店で売っていたものを思い出して見た。プロ野球選手のプロマイド、ベッタ(メンコ)、ビー玉、ローセキ、紙火薬、花火。女の子なら、おはじき、千代紙、紙の着替人形、少し後になって色々な色のビニールの紐、お菓子類では、飴、ラムネ、キャラメル、ノシイカ、煎餅、なんやら怪しげな甘い色水などなど。

 プロ野球選手のプロマイドは、新聞紙で作った封筒の中に入っていて、これを引き当てるというものである。プロマイドの裏にヒットとかホームランのゴム印が押されてあり、運良く引き当てると、飾ってある川上、藤村、大下などの大きなプロマイドを貰えるというものである。
 子供達の間では、駄菓子屋のオバサンが、あとで当りを入れるという噂があり、あまり早くに籤を引かないようにしたものである。
 当時、子供のプロ野球情報といえば、「野球少年」という月刊雑誌くらいなものであった。なぜか選手の名前と背番号を多く知っている者が幅を利かせていた。私の記憶では、小宮一三君が熱狂的なタイガースフアンで選手の名前をよく知っていた。

 メンコは小さいものから大きなサイズのものまであって、武者、野球選手、お相撲さんなどの絵が描かれていた。メンコには色々な遊び方があった。学校に持って来ることは禁止されていた。遊ぶ前にメンコの大きさ、足掛けあり、足掛けなしかを決める。
 一般的な遊び方は、相手のメンコをひっくり返せば取れるのだか、相手のメンコの下に一部入ればよいやり方、最初に何枚か出し合い、地べたに丸や四角を画いた中に入れてはじき出すやり方、これも全部出すのか、一部でよいもの、いろいろあった。
 ズルをすると、その子が詫びを入れないと「ガデテヤラネ(仲間に入れない)」ということもあった。

 ビー玉も同じようにいろいろな遊び方があったが割愛する。ロクさんという大人の知的障害者がいて、市内を放浪し子供たちと遊んでいた光景をよく目にした。覚えている諸兄も多いと思う。
 母親は買い食いを禁じていたので、真面目なお坊ちゃま君は、あまり飲食物を買った記憶はないが、飴や煎餅類はブリキの蓋をしたガラスの容器に入っていた。
 子供達が「10ください」といえば「10円で買える量をください」ということであった。森永、明治キャラメルは美味しかったが、子供達には、おまけがつく紅梅、カバヤ、グリコの方に人気があった。こんなことを書き出すとキリがない。

 小学校5年のとき、鎌倉に転校し、長らく材木座に住んでおられた久保さんに伺ったところアメリカヤはおもちゃ屋さんであるという。
 わが町にまた100円ショップができた。現代版一銭店、見るだけと思って入ったが、買ってしまった。

(3・21 八柳 修之)

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