e−たわごと No.025

投稿日 2003/04/14  コンドルは飛んで行く(1)
寄稿者 八柳修之

 私淑していたKさんが前立腺癌のため4月9日に亡くなった。享年72才であった。Kさんは2000年6月、手術できないほど癌が全身に転移し余命2〜3年と言われていたから、お医者の言うとおりであった。
 Kさんとの出会いは20年前に遡る。当時、T銀行の支店長で、ブエノスアイレス日本人学校の運営委員長として並みいる商社の支店長を取り仕切り、毎月第二水曜日の定例会の後は二水会と称し、場所をバーに移し駄弁っていた。
 帰国してからも、この二水会が今日まで続けられているのは、Kさんの人望に負うところが多かったからであろう。年に一回は夫人同伴の食事会をもち、95年9月にはスペインに家族旅行するほどのお付き合いであった。しかし、当初、9人であったメンバーも、一人欠け、二人欠けで、Kさんも亡くなり5人となってしまった。

 こんなことがあった。99年12月、会社の同僚が膵臓癌で余命半年と言われ、迫り来るXデーを、もう読書をする気力も失せ、どう過ごしたらよいかを問われたことがあった。Kさんにそんな話をすると「好きな音楽を聞きながら過ごすのはどうか。そのまま天国へ召される、理想だなぁ。俺の葬式はアルフレッド・ハウゼのタンゴで送ってもらいたいと」と言っていたKさんであった。

 そして、Kさんや仲間と「医者に余命あと何日と告知されたとき、最後をどう過ごすか」ということについて話し合ったことがあった。どんな話があったか思い出せなかったが、Kさんから2000年2月にメールをもらい、よいメールであったので保存してあったことを思い出した。以下、Kさんのメールです。
 
 「最後をどう過ごすか」については引続きいろいろと考えておりますが、「最後」とはどういう事なのか? 例えば、95歳の私の母は今「最後」を生きているのか、それともまだ「最後」ではないのか? 私の考えでは、彼女の「最後」はもう過ぎてしまったのだと思います。少なくとも、「どう過ごすか」と問い得る「最後」はすでに失われていると言うべきでしょう。ただ、日々心安らかに平穏のうちに過ごしている事が救いであります。
 翻って、私の今はどうなのでしょう。ブラスコ・イバーニェスは「死について、人は誰でもいつか死が訪れる事は知っている。それは明日かも知れないが決して今日ではない。そして、その明日を永遠に先延ばしてゆく」と言っております。
その明日が僅か数週間、乃至数ヵ月後に迫っていると知らされたとき「最後をどう過ごすか」という問題が現実のものとなります。もし、その明日が数週間後に迫っているのに、それが知らされていないだけだとしたら? 今がまさに「最後」なのかも知れません。突き詰めて考えると「最後」とは他者との関係、約束事にすべてから解き放たれて自分自身と向き合う時間なのかも知れません。それは、人によっては苦しみの時間であり、むしろない方がよい。また、他の人にとっては大きな幸せであり、恵みとして受け止められる。そのいずれかによって、「最後」の持つ意味は大きく違って来て「どう過ごすか」の方向が決まって来るのではないでしょうか。

 さて、私は「知られざる最後」をしっかりと生きているか? 少なくとも生きようとしているか? 平凡な暮らし、繰り返される日常性、マンネリズムのもつ偉大さを受けつつ己の人生の意義をいかしてゆく事。重大であるがゆえに軽妙に、永遠の課題であるがゆえに捕らわれる事なく。難しいですね。一寸くどくなりましたがお許しください」
 
 このメールの半年後、なんとKさんは癌の告知を受け、最後をどう過ごすか、自ら立ち向かうことになったのであった。(以下、その2)
 
(4・14 八柳 修之)

TOPページへ


iwayama3 since2002.11
Presented by Ayako Taguchi