e−たわごと No.026

投稿日 2003/04/14  コンドルは飛んで行く(2)
寄稿者 八柳修之

 63歳でリタイアしたKさんは4人の孫に恵まれ、週1回、立教のスペイン語によるゼミ、二水会のほか月2〜3回の仲間とのおしゃべりの会、読書、書道、てん刻、陶芸、寄席、映画の鑑賞と、まさに華麗なる日々であった。特に二水会の席での映画評、読後感、朝日の社説への辛口評は、K節としていつもみんなの話をリードする論客であった。
 
 癌の告知を受けたKさんは、少なくとも人前では以前と変わらぬ様子で、この生活スタイルを崩すことはなかった。ただKさんにとって最大の気がかりは、95歳になる母親を見送るまでは生きたいと願うだけであった。
 だが、元気であった母親も1年半後、顛倒したことがきっかでお亡くなりになった。「母親より先に死ななくて良かったよ。ボケているとはいえ、最大の親不孝だからね」

 この精神的プレシャーから解放されたのか、2年後、2002年6月に入ってから、体調が急速に悪化し、鎮痛剤の効力低下で背骨が傷み、脚のむくみで外出もままにならぬ状況となり、楽しみにしていた二水会も欠席するようになった。
 「これからの時間は読書や家族との時間を大切にしたい、お見舞いは家族の負担にもなるから、固く辞退する」という強い希望で、気が向いたらメールを出すからと言った。映画評はもうなかったが、読書力は衰えず、一週間に一回は読後感を送って来た。私もその本をできるだけ読んで応えたが、意見が違っていると、「なるほどそんな見方もあるのか。メールに反応があると嬉しい」といってまたメールを寄越した。メーラーは2〜3人になってしまったと言った。
 
 7月9日のメールです。「癌の告知を受けてから2年、死生観については語りすぎるくらいに語っており、理解し合える人とそうで無い人との区別もついて来ている中で、八柳さんがみなさんに私の気持ちを正確に伝えてくださっているのが有難く心から感謝しております。Yさんのときのように「そういえば暫く見えないなぁ」と少しずつ消えて行くのが理想的だと思います」
 
8月、年一回恒例の夫人同伴の消夏の集まりは、はじめての欠席であった。
 8月9日のメールです。「Yさん、Iさん、Mさん夫人がお元気に海外旅行を楽しんでおられる趣、心温まる話です。後に残る人々の幸せほど先に行く者を力づけ、安心させるものはありません。女房をよろしくお願いします。散歩は100米しかできず、視力も黄昏並の明るさしかないのに毎日その日一日一日の満足を得ている吉本はなかなかのものです。(注:「老いの流儀」吉本隆明)

 8月16日、最後のメールです。「懐かしいマテ茶有難う。アスンシオンの昼下がりの木陰を思い出しました。孫達が来て賑やかですが、節々が痛むので離れたところから掛け声をかけるだけです。立教のスペイン語ゼミナールのリポートに「治安維持法の考察」を取り上げたところ、これが意外に面白く、健康状態を忘れて熱中し疲れ果て反省しております」
なぜ治安維持法なのか、そういえば、父上は特高だった話を聞いたことがあった。父親の姿を想い出したからであろうか。

 9月8日、メールが葉書に変わった。デジカメで撮ったセイボの花(注、アルゼンチン国花)に対するお礼状。「スペイン語のリポートを出してからPCに向き合う気力が失せたこと。1時間頑張ると、体力の回復に2時間位必要なのが実情です」とあった。
 
 11月10日、マンションから撮影した富士山の写真に対するお礼状です。「骨の痛み、吐き気、眠気、数ヶ月前には予想もしなかった勢いで迫って来て耐え難いものがあります。胸に水が溜まって来て、ここまで書いても息切れがしますので失礼します」
今振り返ると、これが最後の手紙であった。以後、返事お断りということで、ウォーキングの際、撮った風景、花などの写真を送ることにした。
 気にはなったが、お正月は無事過ごされたようだった。日に日に癌が蝕み快復する見込みはないだから、奥様に電話することはただ負担を与えるだけだから控えていたことだった。
 
 3月25日、奥さんから女房にはじめて電話があった。悪い知らせかと思ったが、「主人がいつも写真を送ってくれて有難う」と伝えるようにとことであった。病状のことはお互いに触れることはなかった。そして、2度目の電話は4月7日にあった。29日に入院し7日深夜に亡くなれたという。
 
 9日、幼年学校、外語大の同期、銀行関係の弔問者のお通夜のお清めの席には、静かに「コンドルが飛んで行く」の曲が流れていた。アルフレッド・ハウゼのタンゴではなかった。なぜこの曲が流れていたのか、知る人は少なかったであろう。
 「ペルーのリマ支店勤務が振り出しだったからね。Kさんはコンドルになったんだね」とペルー育ちの長老のOさんが言った。Oさんとそんな話をしながら、散りゆく夜桜の石神井公園池畔を駅へと向かった。
 
(4・14 八柳 修之)

TOPページへ


iwayama3 since2002.11
Presented by Ayako Taguchi