e−たわごと No.027

投稿日 2003/04/11  江田島紀行
寄稿者 工藤 力

江 田 島 紀 行
元3年B組
工  藤   力

 終戦前に生まれた私にとって江田島にあった海軍兵学校は、幼い頃によく耳にした名称であり、入学していた親戚もいた学校であった。一度は行って見たいと思っていたが、某公益法人が企画する催しで講演を依頼され、偶然にも見学する機会に恵まれた。この企画は、講演の後に現在海上自衛隊の各種の学校になっている旧海軍兵学校及び呉市にある企業の工場等を見学するものであった。

 広島の宇品港から江田島の切串港に向かうフェリーは宇品港を出港し(写真1)、広島名産の牡蠣を養殖する多くの筏、大小の島島の間を航行し、自衛艦を含む多数の船舶が往来する瀬戸内海へと進み、江田島が遠くに見えてきた。
 宇品港を出港して約20分、フェリーは江田島の切串港に到着した。海上自衛隊の施設は切串港とは反対の島の南側にあり、切串港からバスに約20分揺られて到着した。駐車場に停車したバスから降りた第一印象は、ごみ一つ落ちていない行き届いた清掃であった。煙草の吸い殻、飲料の空容器、紙屑等が氾濫している汚れた街を見慣れている私には別世界に来たように思われた。植え込みで飾られ、砂利を敷き詰めた歩道を歩き、霞ヶ関にある法務省と同じ、年代物の建物に案内されたが、どこにもごみ一つ落ちていなかった。
 その建物の一室に案内され、昆布茶が振る舞われた。4月下旬とはいえ暑い日であったが、出された昆布茶は熱くなく、その心遣いの素晴らしさに感動した。この客をもてなす心遣いはビジネス社会にも通じるものであった。
 しばらくして幹部候補生学校の校長が来られて施設の概要を説明された。明治21年 (1888年)に東京築地にあった旧海軍兵学校が江田島に移設され、以来アメリカのアナポリス、イギリスのダートマスとともに世界の三大兵学校として広く世界に知られたこと、終戦後昭和31年に横須賀にあった術科学校が移設されたこと(現在、第1術科学校となっている)、昭和32年に幹部候補生学校が開校したこと、昭和33年に自衛隊江田島病院が開設されたこと等の説明があった。幹部候補生学校では毎年170〜180名の防衛大学及び一般大学の卒業者に海上自衛隊幹部として必要な教育を全寮制で行っているが、毎年約10%が転職するとのことであり、企業と変わりないことを実感した。
 説明終了後、いくつかの施設を案内された。最初に案内されたのが、大講堂(写真2)であった。大正6年(1917年)に当時約30万円の費用で瀬戸内産の御影石で建設された。講堂内の床は石畳、2階には貴賓席があり、天井はドーム型で舵輪をかたどったシャンデリアが付設されていた。約2,000名収容可能であり、入校式、卒業式等の儀式に使用されるとのことであった。
 次に案内されたのが、旧海軍兵学校の幹部候補生学校(写真3)であった。床は年数を経た板であり、毎朝学生が船の甲板を清掃するように磨きを掛けているとのことであった。土足で歩くのが申し訳なく思う程磨かれていた。廊下のいたるところに鏡が付設されており、その前を通るとき、服装が乱れていないかを点検するという説明があった。
 次の教育参考館に案内される途中、特殊潜航艇(写真4)の前を通った。昭和16年12月8日ハワイの真珠湾を攻撃した5隻のうちの1隻であるとのことであった。特殊潜航艇の向かい側には戦艦「大和」の主砲弾が展示されており、高さ1.95m、直径46cm、重量1.5トン、最大射程距離42kmという説明があった。
 教育参考館には幕末から第二次世界大戦までの海軍関係者の書、遺品等が展示されていた。特に自らを犠牲にして国のために散っていった若い特攻隊員の遺書が胸を打ち、若くして散っていった人々のご冥福を心の中で祈った。展示物を見ながら、昭和19年に国民学校に入学した私は、ゲートルを巻き、防空頭巾を持って集団登校し、訳も分からずに教育勅語を覚えさせられ、軍歌を歌わされたことが、鮮明に蘇ってきた。もう、十数年早く生まれていたならば、今こうしてはいられなかったであろう、と感慨無量であった。
 また、この教育参考館には旧海軍時代からの「五省」が展示されていたが、この「五省」は現在のビジネス社会にも通用するものと思われる。

  一、至誠に悖る(もとる)なかりしか
  一、言行に恥づるなかりしか
  一、氣力に缺くるなかりしか
  一、努力に憾み(うらみ)なかりしか
  一、不精に亘るなかりしか

 この教育参考館には我々が見学している同時刻に陸上自衛隊の若い隊員も見学に来ており、制服をきちっと着て真剣に各種資料を見て回っていた。その何人かと話すことができたが、国を防衛するという明確な目標を持っており、茶髪に染め、ずり下パンツと踵をつぶした靴を履き、尻上がり口調で話す若者を身近に見ている私には正に別世界の若者であった。
 教育参考館を後にして昼食のため、レストラン江田島に移動しているとき、遥か彼方に戦艦「陸奥」の主砲(写真5)が保存されていた。この主砲の砲身は18m、砲弾は直径40cm、重量1トン、最大射程距離30kmという説明があった。戦艦「陸奥」にはこの主砲が8門搭載されており、その中の4番砲塔が新式砲と換装のため昭和10年に撤去され、この江田島に教材として設置されたとのことであった。
 レストラン江田島に隣接した土産店では、この江田島でしか入手できない「江田島グッズ」を販売しており、別世界から現世に戻った感じがした。突然、孫のことを思い出し、キッズ用の江田島グッズを買い求め、ジーサン振りを発揮していることに我ながら苦笑した。
 この江田島での半日は、私が幼い時に祖父母、両親から聞いた旧海軍兵学校を訪れることができ、貴重な体験をした一時であった。それと同時に平和であることの重要性を身に染みて再確認した一時でもあった。二度と戦争が起こらないことを祈念しながら江田島の海上自衛隊施設を後にした。
 

写真1
 
附 中 五 回 生

作詞 工藤 力
 
一  赤山の麓に、小さな校舎
校庭(にわ)を分かつ小川と小道
あああああ、附中五回生
われら設備乏しく学とも
心豊かな同級生
 
二  淡い初恋、部活の仲間
思い出すたび懐かしく
あああああ、附中五回生
われら遥か昔に巣立つとも
会えば重なる幼顔
 
三  互いに世界は、違っていても
集う仲間の心は一つ
あああああ、附中五回生
われら離れ離れに暮らすとも
幼馴染みはいつまでも
 
【舟木一夫の「高校三年生」のメロディーで】

写真2

写真3

写真4

写真5

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