e−たわごと No.045

投稿日 2003/06/21  謎の橋
寄稿者 八柳修之


 
田口絢子さんの「たわごと41 くにたち音信への寄稿文」の中で宮澤賢治の短歌を紹介している。
「ほんのぴゃこ 夜明けがかった雲のいろ ちゃんがちゃんがうまこ 
 橋渡りて来る」

 一也さん 田口さんお尋ねのちゃんがちゃんがうまこが橋渡りて来るとある橋は、どこの橋のなのかわかりましたでしょうか?

 現在、ちゃぐちゃぐ馬っこが滝沢村の蒼前神社にお参り後、八幡宮までの間に渡る橋は夕顔瀬橋と中の橋である。だが、賢治がちゃんがちゃんがうまこを夜明け方に起きて見た、あるいは自宅から暁雲を見ながら馬鈴を聞いたわけであるから往路に渡った橋ということになる。
 盛岡とその近隣の川といえば、北上川、雫石川、中津川、梁川に架かっていた橋となる。
 
 以前、伊藤紀夫さんが盛岡を流れる川の橋に関心を持ち、山中さんが調べた資料のCOPYをいただいたことがある。それによると各河川に架かっている橋の名前は次のとおりである。
 
北上川:四十四田橋⇒三高橋⇒北大橋⇒舘坂橋夕顔瀬橋⇒旭橋⇒
    開運橋明治橋⇒南大橋⇒都南中央橋⇒徳田橋

雫石川:つなぎ橋⇒滝大橋⇒舟場橋⇒雫石川橋⇒西大橋⇒太田橋
    盛南大橋・・・北上川へ

中津川:水道橋⇒浅岸橋⇒中津川橋⇒山賀橋文化橋⇒東大橋⇒
    富士見橋⇒上の橋与の字橋中の橋毘沙門橋下の橋
    川原橋⇒御厩橋・・・北上川へ

米内川:松木平橋⇒中米内橋⇒落合橋・・・中津川へ

梁 川:澤田橋⇒葛西橋⇒片岡橋⇒梁川橋・・・北上川へ

 北大橋、南大橋などと味気のない名前の付いているのは、新しく架けられた橋である。ちなみに、私の記憶にある橋は太字にした。みなさん、オベデいる橋はいくつありますか。
 
 しかし賢治がこの短歌を詠んだ当時、花巻か他の町に住んでいたとすれば、どこの橋なのか皆目検討がつかない。
 謎を解く鍵は、この短歌がいつ創作されたかである。それが判れば、年譜でどこに住んでいたのかが判る。賢治が花巻に住んでいたとすればお手上げであるが、増子さんと岡山さんは花巻にお住まいでしたから出番ですょ。北上川やその周辺に架かる橋の名前をご存知な筈ですから。
 
 だが、ここで新たな疑問が湧いて来る。盛岡の八幡宮と滝沢村の蒼前神社間の距離は15キロ、約4時間かかる。花巻からはるばる滝沢村の蒼前神社までお参りに行ったであろうか。ちなみに花巻・盛岡間は在来線の距離にして35キロ、したがって花巻から滝沢村の蒼前神社までは50キロの距離ということになる。時速5キロで休みなしに歩いても10時間はかかる。
 
 賢治がちゃぐちゃぐ馬っこを花巻で見たとすれば、水沢の駒形神社にお参りに行く馬でなかったでしょうか。水沢までは30キロ、こちらの方が可能性が強い。

 これで、盛岡周辺の橋が有力ということになるが、あくまでも駒形神社が滝沢村、水沢のみにあることを前提とした推理である。賢治の生きた時代は軍国はなやかなりし時代、軍馬育成のために馬の飼育が奨励された時代でもある。とすれば、なにも滝沢村や水沢までお参りに行かずとも、馬の神社は結構、各地にあったのではないかとも思われる。
 また、花巻や盛岡近在から滝沢村までお参りに行った馬は、前日、盛岡で一泊し翌朝出立したことも考えられる。馬町には飼い主や博労が泊まる馬宿があった。八幡宮で武運長久を祈願し飼い主とお別れし戦地に連れて行かれた馬もあったかもしれない。
 
 巻頭の短歌は詩の一部にすぎず全文は判らないが、賢治が出征兵士を見送ると同様、単にちゃぐちゃぐ馬っこを見に行ったのではなく、見送りに行ったのではないか。賢治の心情は判らないが、私の勝手な想像である。
 
 橋の話が馬の話になってしまったが、逸れたついでの話しです。
水沢駒形倶楽部というノンプロの野球チームがありましたね。チームには元松竹ロビンス4番打者に岩本義行という選手がいました。バットを縦に立てた独特な打撃ホームで神主さんと呼ばれていました。私が市営球場に見に行ったときは、4打席敬遠でしたが、富士鉄釜石に補強され都市対抗に出場し小武方投手とともに優勝の原動力となりました。
(6・21 八柳 修之

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