e−たわごと No.053

投稿日 2003/07/18  「冷麺物語」(要約) 2
寄稿者 八柳修之


 
 なぜ盛岡は冷麺を受け入れたか。小西の連載特集の18では、その謎解きをしている。特集18をほぼ原文のまま以下紹介することとする。
 
 第一の定説は「盛岡人はソバ好き。だから同じメン類の冷麺が受け入れられた」というものだ。だが、同じメン類でくくるのは日本ソバと盛岡冷麺は違いすぎる。明月館が開店当初、日本ソバに近いメンである本格的平壌冷麺を出したが、まったく売れなかった。どうもこの定説は説得力に欠ける。
 
 第二の定説は「北緯39度説。盛岡と本場の平壌はいずれも北緯39度付近に位置し、寒冷な気候が似ているのが、冷麺受入にプラスに働いたとみる。実際に盛岡冷麺のルーツがあった咸興(ハムン)の緯度は、平壌よりさらに盛岡に近い。しかし、かって冬の季節料理として暖かいオンドルの部屋の中で食べられていた時代なら話は別だが、現代では盛岡と同じように平壌、咸興でも夏に食べられることが多いという。冬の寒い気候が似ていることが、決定的な要因だったとは考えにくい。
 
 視点を変えて、盛岡人特有のメンタリティー(考え方、ものの見方)にあるのではないかとする説を小西は紹介する。「それは『おやれんせ』ですよ。ヒントをくれたのは「メルク21」を経営し、県外食産業協議会の専務理事でもある重石桂司(50)だ。「おやれんせ」とは「どうぞ、おやりなさい」という意味だ。「おやれんせ」のメンタリティーを次のように説明する。
 
 ほかの土地から来た人が地元にとっては「異文化」にあたる何か新しいことを始めようとすると、盛岡人は「いい事ですね」と、とりあえず賛成する。ところが実際に実行する段階になると、盛岡人は動かない。「さあ、おやれんせ」と身を引き、距離を置いて観察する。もしうまくいけば、ついていって自分たちのものにしてしまうしたたかさもある、という。「『おやれんせ』は、見る角度によって違う。すぐに動き出さない消極性ともいえるし、ひとまずよそ者に自由にさせてみる一種のふところの深さでもある」と重石。
 
 一般的に、よそから来た人たちの盛岡評は相反する二つに分かれる。「よそ者を温かく受け入れてくれる温かい土地」と「付き合いが表面的でなかなか内側に入れてくれない冷たい土地」というものだ。「おやれんせ」と突き放されて成功したのが前者、うまくいかなかったら後者になるわけだ。そして、「冷麺のケースは、この『おやれんせ』がうまく働いた例ではないか」と分析する。
「ある面では、ずるいともいえる。でも、外部の有能な人材やアイデアをうまく取り込んでいくのは、気候の厳しい土地でみんなが生き残っていくための一種の智恵かもしれない」と重石。盛岡人のメンタリティーの根本には、本当に『おやれんせ』があるだろうか。と小西は結んでいる。
さて、附属は転勤族や疎開で盛岡にやって来た子弟が多かった。同級生の盛岡評はいずれでしょうか。19日の同級会でそんなことを思った。
(7・18 八柳 修之
(出典:小西正人:冷麺物語 1993年11月〜12月 朝日新聞盛岡版22回連載)

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