e−たわごと No.054

投稿日 2003/08/05  さんさ踊り
寄稿者 八柳修之
 袰岩さん撮影の表紙が「さんさ踊り」に変わった表紙ライブラリ参照。やっと来た夏を思わせる盛岡の風物詩である。「ちゃぐちゃぐ馬っこ」の写真もそうであったが、昔に比べて規模といい衣装といい随分派手になったものだ。
 「さんさ踊り」は旧盆の頃行われたような気もするのだが。東北三大祭りに先立って観光客を呼ぼうという魂胆であろうか。
 私の記憶にあるさんさ踊りは、各町内や近郷近在の集落のグループが、夕方、岩手公園の広場に集まり、最初、太鼓叩きの集団が広場を一周すると、踊り手が順次加わり、次第に踊りの輪が大きくなっていくというものであった。今では太鼓や笛の音の数も多く、そろいの浴衣の大パレード、すっかり観光化された様相である。だが、残念ながら「花笠踊り」に遅れをとって四大祭りには入れず、五大祭りにもなり得ていない。


 
 さんさ踊りの起源は、山中さんから送ってもらった「盛岡の観光案内」(盛岡市商業観光課発行)によると、「岩手」の名の起こりとなった三ッ石神社の「鬼の手形の伝説」に求められる。
 盛岡の人なら知っていることなのだが、『名須川町の東顕寺の裏手に、三個の苔むした大石がある。この石は岩手山が噴火したとき、飛んできた石といわれ、いつの頃からか三ッ石と呼ばれ人々の信仰を集めた。あるとき、羅刹と呼ばれる鬼が現れ、散々な悪さをして荒らしまわり、困り果てた里人たちは三ッ石様に悪鬼の退治を祈願した。三ッ石様はその願いを聞き入れて悪鬼を捕らえて、二度と悪さをしないよう、鬼に誓の証として手形を押させた。鬼退治を喜んだ里人たちは、三ッ石の周りを「さんささんさ」と言って踊りまくったのが「さんさ踊り」の始まりといわれる』 『ちなみにこの里に近づかないというの「不来方」、岩に残した手形は「岩手」の名の由来』とある。
 
 「さんさ踊り」も盆踊りである。盆踊りの起源は平安時代中期に庶民に浄土宗を広めた空也上人が始めた踊念仏に遡るといわれるが、鎌倉時代に一遍上人の念仏踊りに引継がれ時宗とともに全国に広がった。室町時代に入ると鉦や太鼓を叩きながら念仏を唱えて踊るようになり、時代とともに様々な趣向が取り入れられたという。
 
 「さんさ踊り」が踊念仏、念仏踊りの流れを汲むものとすれば、盛岡に念仏門(浄土宗、浄土真(一向)宗、時宗)が、宣布された状況は興味深い。
「東北の佛教―みちのく佛教伝播史―(及川大渓)」によると、鎌倉期から室町後期にかけて、盛岡および紫波郡に開創された寺院数は29ある。宗派別に見ると、曹洞宗13、浄土宗5、一向宗5、臨済宗2、時宗、日蓮宗、真言宗、天台宗各1となっており、曹洞宗が45%を占めている。寺院数=信徒の数とするのは乱暴であるが、念仏門寺院数も33%を占め、念仏踊りはかなり普及していたと言えよう。
 
 ところで「さんさ」の語源はなんであろうか。広辞苑を引くと、「(ササの揆音化)俗謡の囃子声、さんさ節:江戸中期ごろ諸国に流行、歌詞に中に「さんさ」という囃子詞がつく、さんさ時雨も同じ系統」とある。
 さんさ踊りは、太鼓と鉦の手踊りである。「さんさ」という囃子詞はここからきたのであったことだろうが、Media Playerで聞くと「サッコラ チョイナ ヤッセ」と聞こえ、「サンサ」という囃子詞は聞こえない。九戸郡大野村に「なにゃどやら」という盆踊りがある。太鼓のリズムはさんさ踊りのそれと同じに聞こえるが、「なにゃどやら」というなんやら意味の判らない囃子詞を繰り返している。
 
 田口さんのメールによると、さんさ踊りの後は、肴町の七夕、舟っこ流し、そして一連の夏の行事が終るとともに盛岡の短い夏も終わり秋がやって来る。今年の稲作の出来が心配である。
(8・5 八柳 修之

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