e−たわごと No.055

投稿日 2003/08/07  竿灯の夜
寄稿者 八柳修之


 
 古い話だがよく覚えているいい話である。銀行のお偉いさんに0という人がいた。一課長の分際では、滅多に口を聞いて貰える機会などなかったが、駐在を終えて帰国したとき、「ご苦労さん」ということで、8月の初めに何人かの人と一緒に食事に招待してくれたことがあった。
 
 「君はどこの出身?」と聞かれて、一瞬戸惑いながら、「生まれは金沢、でも小学校から高校までは盛岡、両親は秋田、盛岡と答えています」と答えた。
 「でもねぇ、何故か生まれた所が出身地になるんだよね」とOさんは言った。
そして、「君のご両親、秋田。もうすぐ竿灯だね。秋田クラブって知っている?先年、竿灯の夜、女将から聞いたいい話があるよ」と言って次のような話をしてくれた。

『かの粋人、今東光がまだ書生だったころ、秋田の芸妓と相思相愛となった。年を経て有名人となった今東光が、一夜秋田に清遊し、是非あの美妓に会って想い出を語り合いたいと申し出た。しかし、今でもかっての美貌をしのばせる美妓であったが、あのころの懐かしい想い出はそのまま胸にしまって温めていてほしい、私はいつもそうしていますからと、ついにその席に現れなかったという』
(同級会に姿を見せない、かっての同級生にもこのような人がいるのかもしれませんね)

 この話は、83年7月から12月まで日本経済新聞の夕刊の「あすへの話題」という欄に掲載された。のちにほかに書いた随想とともにまとめて84年9月、自費出版され、私も一冊いただいた。
 だが、「あとがき」にこう書いてあった。『妻は、この冊子のでき上がるのを病床で楽しみにしていたが、とうとう間に合わなかった。自分で丹念に切り抜いて集めていた「あすへの話題」のスクラップ・ブックを棺に入れて荼毘に付したのがせめてもの慰めであった。彼女が気に入っていた「竿灯の夜聞いた話」から、この小冊子の表題(竿灯の夜)を採って、妻に捧げる』とあった。それから数年後、Oさんは奥さんの許へと逝った。
 
 夏の夜空をいろどる秋田の竿灯は、「眠り流し」とも呼ばれ、もともとは御零送りの灯篭であったという。
(8・7 八柳 修之

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