e−たわごと No.059

投稿日 2003/09/01  三ツ石の鬼
寄稿者 八柳修之
 
出典:大江山町のHP
 
 
 岩手の名の由来となった三ッ石の鬼の話、盛岡観光協会のパンフレットによれば『いつの頃からか人々の信仰を集めていた三ッ石様。あるとき鬼が現れ、散々な悪さをして荒らしまわり、困り果てた里人たちは悪鬼退治を祈願した。三ッ石様はその願いを聞き入れて悪鬼を捕らえて、二度と悪さをしない誓いとして手形を押させた。鬼退治を喜んだ里人たちは、三ッ石のまわりを「さんささんさ」と言って踊りまくったのが「さんさ踊りの」始まり』という。
 
 今年の稲作は10年ぶりの不作であるという。さしずめ昔ならば飢饉や疫病の流行など目に見えない出来事は鬼の仕業と考えたことであろう。
「鬼」が笑うであろうが、鬼について調べてみた。
 広辞苑によると、中国では鬼は死者の霊魂のことであった。この「鬼(き)」という字は怪物の頭、人、密かなるものという字が、組み合わさってできたといわれる。姿のない恐いものには恐怖心がつのる。鬼の姿をつくり出して、自分達に災いをもたらすもの、敵を鬼に置き換えようとし先祖がつくり出したものと考えられている。そして角が生え、口、鼻、耳が大きく牙をもち、赤や青の体に虎の皮の褌を着けた鬼の姿は、佛教の説く地獄や餓鬼道に影響されたものであるという。
 
 しかし、鬼は架空のものであったとも言い切れない。大江山や羅生門、桃太郎話は有名であるが、これは盗賊や海賊と考える説がある。大江山の酒呑童子の正体は丹波の大江山に住み着いた外国人ではなかったかという説である。髪が赤い大男というのは西洋人を思わせるし、血を飲んでいたというのはぶどう酒ではなかったかと。男鹿半島に伝わるなまはげも流れ着いたロシア人であったかも知れない。
 
 さて、三ッ石に出没した鬼も、実は架空のものでなかったと想像して閑を持て余してみたい。結論からいうと、山人やたたら師ではなかったかと思う。
 まず不来方城を中心に考えた場合、鬼門はどこか。鬼門とは陰陽道では鬼や妖怪、死霊が住んでいる方向、あるいは出入りする方向である。蛇足ながら北東の方向は丑寅といって、牛のような角と虎のような牙をもち、虎の褌姿の鬼はここに由来するといわれる。
 盛岡の北東方向は田口さんのお家、山岸、下米内、中津川の上流方向である。現在の盛岡の地図を広げてみてもこの方向は地勢的にも山岳地帯であり住宅も少ない。われらが工藤雅樹先生によると「内(ナイ)」とつく地名は、アイヌ語の地名に多く、昔、蝦夷が住んでいたことを示している。この辺りを生活の根拠としていた人は山人も住んでいたであろう。
 山人や三角寛のいう山窩(サンカ)が時折、物資が不足すると里を襲ったことも考えられる。
注: サンカとは定住地を持たず天幕のほか簡単な家財道具を携え山間、水辺を移動しながら箕のなどをつくり生計をたてた集団、アウトローなどが紛れ込み、一部からは犯罪集団のようにもみられていた。

 あるいは、この地帯にたたらで鉄をとっていた人々がいたのではないかとも想像される。山を荒らし、川が汚れたりすると、農耕を営む里人にとっては鬼の仕業とも感じ、灼熱に焼けただれたたたら師の顔は鬼にも見えたのではなかろうか。網野善彦の本を読むと、たたら師は外界からは隔離された職能集団であり、里人も近づくことはなかった。たたら師は鎌倉幕府の成立ともに集団で鎌倉周辺に強制的に徴発された歴史があり、たたら師と関係が深い白山神社も多く分布している。
 
 
 追記 大沢俊成先生へ:
 「たわごと」で大野村に伝わる盆踊り「なにゃどやら」のことを書きましたが、「大沢先生はたしか、宇部先生と同じ宇部のご出身ではないか」と弟から聞きました。隣村のことかも知れませんが、「なにゃどやら」の意味、単なる好奇心ですが、もしご存知でしたら興味のある人もいるかと思いますので掲示板でご教示ください。
(9・1 八柳)

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