e−たわごと No.078

投稿日 2003/12/25  しかたがない
寄稿者 八柳修之


 

 自衛隊のイラク派兵の是非をめぐって国論が二分している。憲法、国際協調、国益とかいう議論は別として、一国の首相が、YESと言ってしてしまった以上、NOとは言えないと思う。欧米人は一度でも「YES」と言ってしまったら、どんどんこちらに踏み込んで来る。NOはあとでYESにできるが、YESはNOにできない文化なのである。
 
 以前「たわごと」で、我々が何気なく「頑張る」という言葉を使っているが、日本人の「頑張る」という概念に相当する英語、スペイン語を始め外国語はないのではないのかと書いたことがあった。
 同じように日本人がよく使う「しかたがない」とか「しょうがない」に当る言葉は、英語にないのではないかと、アミーゴのWさんは言う。
 もしWさんのいうように該当する概念がないとすれば、「談合」「根回し」などと同じように「しかたがない」を英語で表現する場合には「SHIKATAGANAI」と書いて、そのニュアンスを説明する必要がある。
 だが、「しかたがない」をどう説明すればよいのであろうか。「しかたがない」「しょうがない」は、論理の世界をギブアップし、非論理、非合理な世界を受容するワードであるからである。
 
 もともと欧米人の会話は論理的である。Wさんによれば、ドイツでは一寸した立ち話の際などでも、相槌の言葉の一つとして「ダス・イスト・ローギッシュ」(それは論理的だ)」をよく使うという。いい加減と思われるスペイン語系の世界でも「テイネ・ラソン(直訳すれば、あなたは論理を持っている。道理がある)」という言葉を会話の中でよく使う。
 私の経験からすれば、相手が話をしているときでも、que?「ケ」(なぜ、なに)と言って口を挟む。相手の論理が分らないときとか、言っていることに同意できない場合に使う。わかってもらいたいならもっときちんと論理的に話せ、という意味でもある。
 われわれは「法律で決まっているからしかたがない、会社の命令だからしょうがない」と変に納得して、それ以上は追及しない。欧米人には、この「しかたがない」「しょうがない」という概念はないように思う。法律や命令は現在の約束事である。だが普遍ではなく不合理、時代に合わなければ変えればよいと彼等は思うであろう。
 
 長年、アメリカの傘の下で「YES」「しょうがない」を続けて来た。その積み重ねの結果がイラク派兵問題に来てしまったのである。今後も「YES」を続けるのか。「NO」とも言える国になるのか。年末にあたり、さすがに能天気なオジサンも気がかりである。
(12・25 八柳)

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