e−たわごと No.080

投稿日 2004/01/04  Sの消息
寄稿者 八柳修之


遊行寺坂を快走する選手、逆光なのでこんな写真、言い訳


 暖かで穏やかなお正月三が日、お正月であるからといって特別な感慨も起きない。子供が小さかった頃は、思い出づくりの意味もあって鶴岡八幡宮へ初詣に行ったものだが、いまはいつでも行けるからあえて行かない。

 お正月はこの2〜3年、遊行寺坂で親友のTと待ち合わせし大学駅伝を観ることにしている。若者が母校の名誉と自分の青春をかけて、喘ぎながら坂を駆ける姿には感動を覚えるからだ。駅伝の観戦は我々二人にとってお正月の定例行事、風物詩となっている。

 もう一つお正月であることを感じさせるものに年賀状がある。パソコンで作成した賀状が主流となり、虚礼だという人もいるが、年一回、お互いの無事や近況を確認する意味はあるように思う。第二の人生をどのように過ごしているのか、知らせて来る人もいる。なかには何もすることがないので、仕事をしているという人もいた。賀状の交換をしなくなった人のことを思い出して見るのもよい。

 もう5年以上、賀状の交換をしなくなったSという人がいる。チベットへ仏教の修行へ行くという賀状を最後に音信不通なのである。
 Sを知ったのは1985年、彼がS銀行ブエノスアイレス駐在員事務所長をしているときであった。Sはその後、本店の法人部長を勤め、入行同期のトップを切って取締役になり、その将来は約束された道を歩んでいた。しかし、1991年53歳にして突如、取締役を辞任し、年収○○万円の生活をも捨てて真言宗の修行僧として仏門に入った。この転進については、S銀行の体質に嫌気して仏門に入ったのではないかと憶測する報道さえあった。2年後、高野山で修行するSを訪ねた朝日の記者に彼はこう語っている。テーマは定年後第二の人生についてである。
「サラリーマンを辞めて弁護士になろうが、そば屋になろとか、そういう現象の問題ではない。生きることの価値や意味を探す。具体的に何をやるかは、その次に出て来ます」「第二の人生をどうするか、人生に第一も第二もない。私にとっては、トライアルこそが人生だ」と。

 いま、自分探しと結びついて、静かなる仏教ブームが起きているという。
河合隼雄、中沢新一共著「仏教が好き」(朝日新聞社刊)によると「ものや金のないときは、ものと金を求めて一生懸命になる。だいぶ手に入れてくると、一体自分はどうなるかなぁ、と考えるようになることも仏教に関心が出て来たことと関係がある」「金はないと言っているけど、本当はいっぱいある中で、非常に不思議な不安状態にある」「仏教の基本的な考え方だと、人間は暇があるから幸運で、余暇があると仏の教えを考えることができる。その中で自分の心とはなにか、ということを考え続けるという最高にゴージャスなことをやるのが仏教の考え方である」と語っていた。

 若くして地位と金を得たSさんが、仏門に入った理由もわかるような気がしたのであった。
 だが、以前、朝日の記事を読んだ女房が「Sさんはそれで良いかも知れませんが、奥さんのこれまでの人生は一体なんだったんでしょうね」と言ったことを覚えている。Sさんの自分探しはできたかも知れないが、奥さんは自分探しができたのか、Sの消息より気になるところだ。
(1・4 八柳)

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