e−たわごと No.081

投稿日 2004/01/20  柿の話
寄稿者 八柳修之

 小川さんが、お母様が渋柿を甕に入れて焼酎を吹きかけ密封し美味しく食べた話や、食糧難の時代に栗を植えた話などされていました。我々世代は食べ物の話になるとよく覚えているようです。砂糖が不足した時代、柿は重要な甘味食品でした。いまでも、まだ水分があって柔らかい「あんぽ柿」、白い粉が吹いている「ころ柿」「市田柿」を見かけますが結構いいお値段です。柿の木を使ったゴルフクラブがよく飛ぶとされ大量に切られてしまったというホンマの話もありますが、食べ物が豊富に出回るようになり、若い人に受入られなくなった食べ物でしょうね。柿から発展した思い出話二題です。

 下の写真は、私が幼少の頃の数少ない写真です。私は金沢生まれで小学校へ上がる前年の夏まで金沢で過ごしました。撮影したのは父、テブールの上に置かれた先の尖がった大きな柿の写真にご注目ください。私はこの柿がなんという種類の柿なのか、ずうっと気になっていたところでした。オナガでもヒヨドリでもどちらでもよいと言ってしまえば、それで終わりなのですが、柿の名前が判ったのは2001年8月のことでした。
 教えてくれたのは、私のことを「ヨシユキチャン」と呼んでいた金沢のエイコチャン、私の幼馴染です。(経緯はiwayama2.(57)「ちゃんと呼ばれた私」)
 私の疑問にエイコチャンは「大きな柿、きっと「最上」という柿でないかしら。先の方がとんがっているような。渋柿ですから、醂(すわ)して柔らかくなってから食べます。父の大好物でした」とメールをくれました。「さわす」とは柿の実の渋を抜くこと、恥ずかしながら61にして知りました。ちなみにエイコチャンは、金沢大附属の同級会の幹事をしているそうで、我が家では金沢のアヤコチャンと呼んでいます。
 

 ところで、柿は日本が原産(中国から渡来したという説もある)といわれ、柿の実はヨーロッパやアメリカでもKAKIと呼ばれている。(スペイン語、ポルトガル語にはKがないのでCaquiと表現されている)
 95年9月、スペイン旅行をしたとき、グラナダのアルハンブラ宮殿の庭園で柿の木が美しく紅葉しているのを見ました。フランシスコ・ザビエルが日本から種を持ち帰り、ヨーロッパに広まったというのがガイドの説明であった。
 
 柿を地球の反対側のアルゼンチンにもたらした人もいる。日本人移住者である。およそ、南米の農業、とりわけ胡椒、大豆、野菜、果物、花卉などの換金作物の発展は日本人移住者に負うところが多い。
 これも95年の話、仕事を終えて東京駅付近を歩いていたとき、呼び止められた。振り向くと旧知のH製作所のアントニオ、日系二世である。聞くと定年になったので諸手続きのため奥さんと来日したという。奥さんも二世で、実家は柿などを栽培し財を成した園芸家である。あちらの果物類はおよそ品種改良、品質管理していない中にあって、奥さんの実家の生産する果物類は一つ一つ吟味してTITANというレッテルを貼って販売し差別化を図っていた。
 アントニオは工学部出の技術者で日本語も堪能であったから、プラントの売り込み、メンテには格好な人のみならず、日本人以上に日本的、働き過ぎの会社人間であった。
 南米では個人の信頼関係で仕事が成り立っているので、駐在して2〜3年で信頼を得るには時間がかかる。最近聞いた消息では重宝がられてまだ働いているとのことであった。どうやら5年しかアルゼンチンに生活しなかった人間がアルゼンチン化してしまったようだ。
(1・22 欣チャンの命日、iwayama2.(62)参照)

TOPページへ


iwayama3 since2002.11
Presented by Ayako Taguchi