e−たわごと No.082

投稿日 2004/02/04  仙北町駅
寄稿者 八柳修之

袰岩さんからの写真付きメールです。
 
 本日の雪まじりの仙北町駅です。
 一日千人いかない乗降客ですが定期的な通勤・通学客がメインです。
 駅舎の画面が右下がりに曲がっていますが小生は駅名表示(看板)に
 重点を置いた結果こんな写真になりました。
 下の写真・袴線橋の奥が花巻方面への線路です。
 ちなみに写真の白い軽トラックは共通です。
 久し振りに線路なんて言葉を使いました。
 
 この後、すぐ訂正のメールがあり、『仙北町駅の乗車数 約1,850人/日 降車数もおおよそ同数と考えられるので乗降人員は約3,700人/日。ちなみに盛岡駅は乗車数2万人/日、乗降者は4万人/日です』とあった。ご子息がJR東日本にお勤めのようで、確かめたのであろう。いかにも真摯な袰岩さんらしい。

 そこで、なんで仙北町駅なのか。少々説明の必要がある。発端は私が江ノ電片瀬駅前で見かけた車止めの上に付けられた金属製の鳥、誰かが毛糸で編んだ服が着せてあった。最近、ウォーキングには絢子流にデジカメを携帯することにしているので、パチリ。「寒中暖有」と題し、田口、袰岩両師匠へ送った。
 折り返し袰岩さんから、自分も同じような光景の記憶があると言って、厳冬の遠野、着物姿のカッパの写真が送られて来た。しかも、わざわざかっての部下に依頼して撮ったものをである。この誰かが着物を着せた行為に、温かさを感ずるのか、余計なお世話と見るかは、議論の分かれるところだという話しになった。その後、ついでながらと遠野駅の写真も送られて来た。
 
 よく記憶を喪失した人間が、何か写真や風景などを見て急に古い記憶が甦ることがあるが、それに似た症状が起きた。(いつものことだが・・・)
 仙北町駅のことで思い出したことを袰岩さんへのお礼のメールに書いた。
 すると、またわざわざ寒い中、仙北町駅まで行き撮って送ってもらったのが、この写真なのである。私としては、とるに足らない小さな記憶を披露するより、この袰岩さんの温かいハートを、先ずみなさまにお伝えしたい。
 
 小学生の頃、汽車に乗るということはある種の憧れであった。汽車に乗りたくて仙北町駅、盛岡駅間を往復したこともあった。できるだけ遠くまで行きたい。東京へ行ったことがあるなんていう子は羨望の的であった。その中にはおそらく、田口さんや小川さんもいたことであろう。
 私にとって、夏休みに父母の実家の秋田へ弟と行くことが最も長い旅行であった。黒沢尻で横黒線に、横手で奥羽本線に乗り換える旅は不安もあったが大きな自信ともなった。乗り降りは仙北町駅、東安庭の官舎からは盛岡駅に行くより近かったからであった。勿論、徒歩である。
 
 袰岩さんの送ってくれた仙北町駅の姿、木造の平屋の駅舎、独特な支柱、それは昔のまま、私の記憶にある仙北町駅と寸分も違わなかった。駅舎の右側が事務室、左が待合室、自販機が置かれているのが、現在の駅であることを示しているだけだ。仙北町駅は貨物の扱いもしていた。チッキを送るときはリヤカーに荷物を載せて運んだものだ。
 たったこれだけの思い出のために友の足を運ばせたのであった。
 
 駅、鉄道には、みなさん、それぞれに思い出があるだろう。出征、赴任、新婚旅行、就職・・・・ 私は、中学を卒業したばかりの少年少女が集団就職列車で故郷を去るにあたり、同級生、先生、親兄弟、親戚一同が駅頭に見送りに来て激励している光景、それは今でも胸がつまる光景として焼きついている。
 その少年少女達の多くは還暦を迎え、それぞれ苦労した昔のことを思い出していることであろうか。
 
蛇足:
 田口絢子さんが送ってくれた「ぶらり盛岡」によると、明治22年に盛岡市が誕生し、翌23年には東北線が開通している。どこの町でもそうだったが、流れ者が入り込むのを嫌い駅は街の中心から離れた場所に建設された。盛岡駅もおそらくそうであったろう。時刻表によると盛岡駅と仙北町駅との間は僅か1.8Km、3分の距離である。建設理由は分からない。
 仙北町、町名の由来は、盛岡城下の建設の際、秋田県仙北郡から移って来た商人や職人を住まわせたという。(一昨年の同級会でもらった「盛岡旧町名探求地図」参照)
(2・4 八柳)

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