e−たわごと No.084

投稿日 2004/02/19  セイボの花を見て思い出した
寄稿者 小川智子

八柳さんからセイボの写真が送られてきたました。どうしてセイボを送って下さったか判らなかったけれど、彼のメール読んで、彼が1982年に、アルゼンチンに赴任した時、至る所に咲いているセイボの花が目につたので、湘南のマンションの玄関で育てたら咲いたので写真を撮ったということでした。同じ1982年に、私もこの花をアメリカで見た。その時の私には深い想い出がります。もう涙がでそう。

1982年にアメリカのバークレイの友人宅に招待された時のことでした。彼は私に自分で昼食を作るために彼の庭にズキニを取りに行きながら、アメリカの植物や習慣みたいなことを話してくれました。
初めてズキニがパイナップルみたいに株の中心から上に向って出来ているの見せられました。(きゅうりと同じ様になっているとばっかり思っていたから、本当に驚いた。)
その庭にセイボがとても美しく咲いていました。私は、数個の花を貰って手帳に挟み、押し花にして持ち帰りました(これは私が外国でめずらしい草花を野原や道ばたで見つけたときにするくせみたいなもの)。
彼の作った昼食をサンフランシスコの眺められるベランダで戴きました。それからが凄かった
私を一人観客にして、ピアノ演奏から始まり、次には、ハーモニカを口に支え、ギターを伴奏に歌ったり、ハ−モニかを吹いたり、そして、口笛とレコードの演奏、私のためにだけ、こんなに時間をかけて演奏してもらって、私は大感激でした。初めてアメリカ人の本当の思いやりの心を見た様な気がしました。

それから家の中を見せてくれました。彼の宝物、砂漠で一日中かけて探す、昔のインディアンが使った矢じりなどのコレクション、小学校の時に作った工作などなどです。

その後オークリッジの浜辺で夕日に輝くゴールデンゲイトを眺めました。それから夕食後サンフランシスコのtwin peakに登り、美しい星空を眺めて、光が輝くサンフランシスコを眺め、楽しい一日は終わりました。

その彼が昨年の4月28日に亡くなったのです

彼とは、私が1970年にボストンへ留学した時のMIT(マサチュウセッツ工科大学)の大学院生で長い、長い付き合いでした。
私がアメリカで講演の招待を受けた時には何時も彼のいるUCSF(カリフォルニア大学、サンフランシスコ医学部)により、講演の準備を助けてくれましたし、色々な科学の話しをして本当に学ぶ事が多かった。
その時はすでにUCSFの分子生物学、生化学部門の部長だッたので、とても忙しかったのですが、彼は私のための時間を必ず作ってくれた。本当に私は沢山の援助を受けました。
なによりもウイットに富んでいて話していてとても楽しい人でした。

日本の学会での講演に招いた時に広島の宮島と原爆記念館へ連れて行きました。原爆記念館に入ろうとした時、「智子、僕をこんなところに連れて来て平気か?」と訪ねられました。
彼はユダヤ人なので、ドイツ人とは差別無く付き合うっているが、アウシュビッツへは行けないというのでした。
戦争も知らない年代の生なのにと、思って私は驚きました。

そういわれて、私は学生時代の彼の事を思い出しました。彼はクリスチャンの行事、クリスマスとかイースターとかには全く参加せずに、ユダヤの行事にはいつも、真面目に参加していたこと、グリーンを身につける日にはグリーンの靴下を履いているのを見せてくれたことなどなど・・・

この旅行の後、私の大阪の家に来て、私の部屋にマリリンモンローの大きな写真がはってあるのを見て、僕も好きだといってました。その後、毎年の様にマリリンの切手やカレンダー、カード、万年筆など送ってくれるのです。

一昨年の7月14日の誕生日はUCSFで盛大に行われると奥さんから知らせが入り、私のメッセージが欲しいといわれて、私は上記のことも含めて送りました。


今は茶色になったセイボの押し花、触れば粉々になりそうな押し花、その花の美しさを八柳さんは、今、私に送って下さいました。本当に有難う。この写真は私の想い出とともに、貴方の優しい気持ちを加わえて、枯れることも無く一生大切にさせて頂きます。
 


アメリカ ディゴ(別名、セイボ、 和名:カイコウズ)
花言葉;夢・童心 とありました。まさにその通りですね。

  
東京発 No.010「セイボ咲く」もあわせてご覧下さい

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