e−たわごと No.094

投稿日 2004/06/07  マドンナ
寄稿者 八柳修之


 

親友のAさんと新宿末廣亭へ行った。デパ地下で弁当と飲料を買い、12時開演の前座から取りの4時半まで座敷に上がり足を伸ばして楽しんだ。寄席は2年ぶりのことであったが、そのあと、22年ぶりにBというマドンナに逢った。
Bさんに逢うことになったきっかけは、フジテレビならぬNHKであった。
以前、たわごとに「最後の杯」と題し、タンゴ歌手の阿保郁夫のことを書いた。阿保さんは、2002年6月、NHK金曜時代劇「山田風太郎からくり事件帖」のバックミュージックで自作のVIENTO(風)を収録後、脳血栓で倒れ、歌手生活の継続を余儀なくされた。

それから半年後、ある人から「昨年の3月頃、偶然、NHKラジオ深夜便で阿保さんがあなたのことを話していたのを聞いた」という年賀状をもらった。
阿保さんがどんな話をされたか気になったが、事情が事情だけにご本人に聞くわけにもいかなかった。
そこでNHKに収録された録音を聞くことができないかメールで照会した。
1週間ほどして回答があったが、「ご照会の阿保郁夫さんへのインタビューは、2002年2月4日に行われています。しかし、残念ながら著作権の問題があり、お出でいただいてもお聞かせすることはできません」と、がっかりさせるものであった。

大分後になって、そんな話を酒席でAさんに話したことがあった。「深夜便のアンカーをしているBさんに聞いてみようか」と言った。二人とも大学時代、放送研究会に所属していた仲からであった。

Aさんにそんな話をしたことも忘れかけていた今年の3月頃、「Bさんから、すでに保存期限が過ぎてしまって、聞くことができずお役にたてなかった」と返事があった事を聞いた。だが、一度、三人で食事しましょうということになったものである。

私は学生時代、Bさんと面識があるわけではなかった。ただAさんがBさんや女子学生と楽しそうに話をしているのを遠くから眺めているだけであった。
Bさんが高名な文豪の姪であったこともその距離を一層遠いものとしていた。卒業後、Bさんは朝の報道番組「スタジオ102」のアシスタントを勤め、評判の美貌アナあった。私も早起きして見とれていた一人であった。
Bさんのファンだと知ったAさんは、ならばという事で三人で一度食事をしたことがあった。
あれから22年、今日、少しは心がときめくかと思っていたが、あまりにも時間がたっていた。だが声だけは昔と変わらなかった。
(6・7 八柳)

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