e−たわごと No.097

投稿日 2004/06/21  「調査要約」 盛岡の近江商人(1)
寄稿者 八柳修之

盛岡は中津川沿いに開けた町、その風情からか東北の小京都ともいわれる。

小京都の源流は400年前に盛岡にやって来た近江商人、盛岡の町づくりは近江商人が大きく関ったといってもよい。
友人のKさん(近江商人の末裔)から、借用した「近江商人 東北の末裔たち 近江商人末裔会 発行者 駒井 健 平成3年7月発行」(限定本)「高島商人 駒井正一著 平成2年11月改訂発行」をもとにその系譜を、出来るだけ本文を引用、忠実に要約してご紹介したい。みなさまにはきっと、盛岡の懐かしいお店の名前や付属の同窓に関係者の子弟がおったことを思い出されるであろう。

近江商人の分類
一口に近江商人といっても、いろいろな地域から出ている商人である。琵琶湖の東岸、湖東を出身地とする八幡系、日野系、五個系、愛知川系、能登川系、八日市系、これらの商人群がいわゆる世間でいう近江商人、江州商人である。これに対して盛岡にやって来たのは湖西の高島(大溝)を出身とする商人たちであった。

盛岡の高島商人三始祖。

最初に盛岡に移住した近江商人は、慶長18年(1613)、高島郡大溝(おおみぞ)村井郷(現高島町)から移住した村井新七である。新七は京町(本町)に土地を与えられ、近江商人のわらじ脱ぎ場(拠点)となった。村井新七のもとに最初にわらじを脱いだのは、同じく大溝出身の小野権兵衛だった。権兵衛は商いのほか酒造技術なども身につけ、当時知られていなかった「すみ酒」の製法(それまでは濁酒を飲んでいた)に通じていた。この特技を生かして志和村に独立し村井「近江屋」を名乗った。これが「南部杜氏」のルーツともなった。

この二人にやや遅れてやって来たのが、新七と同族の村井市左衛門で新町(呉服町)に独立し、近江屋左衛門(村市)を称し、一族の分家や多くの奉公人分家を出した。村井新七、小野権兵衛、村井市左衛門は近江商人の盛岡における三始祖と呼ばれている。

村井新七のわらじ脱ぎ場は、単に高島商人たちに宿を提供しただけではなく、現代流にいう系列化やチェーン化のための拠点であった。これを「内和」と称し、血はつながらなくとも同族的団結を背景に、生産から流通にいたるシステムを確立し、さらに藩札の引受け、財政運用役など藩経済で重きをなしていく。

村井・小野一族の繁栄
パイオニアの村井新七には実子がなかったため、同族の新兵衛を国元から呼んで養子にし村井家の本流を継がせた。現在、紙町の「糀屋甚六」家(村井)の先祖に当たっている村井本家からは志和をはじめ多くの分家が独立したが、なかでも志和分家からは、六つの有力な分家が独立し、さらに京都の名門「鍵屋」を系列に加えている。

村井新七を頼って盛岡にやって来た小野権兵衛は、前述のとおり酒造の成功で基礎を固め、天和2年(1682)に郷里から兄善五郎の子善助を呼び寄せ、数年後、紺屋町に分家させ「井筒屋善助(紺印)」を名乗らせた。「井筒屋」は小野家の屋号、家紋であった。続いて善助の弟の二代権兵衛(慶友)を養子に迎え郡山(日詰)に「井筒屋(郡印)」を起こさせた。またその弟清助を婿養子にし、新町(呉服町)に「井筒屋(紺印)」を独立させた。さらに権兵衛は、大溝の大河内伝左衛門の子、佐兵衛を養子に迎え、郡山「枡屋(佐印)」を起こさせた。

小野権兵衛は40歳で隠居し、郷里に帰ったが、その後、京都の名門「鍵屋」の株を買って新「鍵屋」を創設、「郡印権兵衛」に経営させ、元禄2年(1688)48歳にして京都で没した。

二代権兵衛(慶友)は、子福者であったが、村井甚右衛門の次男権右衛門を養子にして「郡印」を継がせ、大溝の福井源右衛門の子宇兵衛を婿養子として、盛岡に「芳野屋(芳印)」を起こさせ、これが後の「小野家」の祖となった。

実子に家を継がせないのが、当時の村井・小野家の家憲だった。

二代権兵衛の長男は医師、次男は「善印」の養子、三男権右衛門が京都「鍵屋」を継いだ。

三代権右衛門も弟権兵衛を養子に迎えて「多賀屋」(多印)を起こさせ、実子の甚七は紙町の村井家、清助は「紺印」の養子にしている。

このように志和系村井家からは多くの分家が独立して、姓も村井を名乗ったり、旧姓の小野を名乗ったりして複雑だった。のち、「近江屋」「鍵屋」(盛岡)などは村井を、「井筒屋」「京都鍵屋」は小野を名乗るようになった。

パイオニアの一人「村市」

近江屋市左衛門(村市)が大溝からやって来た時期は明らかではないが、少なくとも明暦年間(1655〜57)と推定される。「村市」の一族分家には「村井清八」(近清・のちに八右衛門)、「村井源兵衛」(本町)、「村井市右衛門」(高市)、「村井三治」(新町)、「村井市助」(葺手町)などがあり、暖簾分家は非常に多く、材木町の「近江屋伝兵衛」(「近伝」のちに「近勘」)、鉈屋町の「近江屋藤兵衛」(「近藤」)、紺屋町の「鍵屋茂右衛門」(茂兵衛の先祖)などの有力商人を出した。

「井筒屋」とは違い長子相続で、志和の「村井権兵衛」家や「井筒屋」などと婚姻を重ねた。 (以下つづく)

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