e−たわごと No.100

投稿日 2004/06/21  「調査要約」 盛岡の近江商人(4)
寄稿者 八柳修之
 

〜記憶の中の盛岡の近江商人〜

私が高校卒業までの盛岡の町の商店街といえば、肴町と大通り商店街が二分していた。しかしその頃から、人々の足は肴町から大通り商店街へと向かっていたように思われる。

私はまだ東安庭の官舎に住んでいたので、我が家の場合は川徳がまだ肴町にあったこともあって、買い物は肴町が中心であった。

肴町商店街の子弟の多くは付属であった。記憶にあるお店を挙げると、東山書店、竹原茶店、繁田園、鍵屋、玉置時計、成瀬金物店、榊呉服店、鈴江印房、平金、近江洋装店、内山ガラス店、久保庄書店、村源薬局、川村洋品店、水原スポーツ、斉仁である。みなさんはこのほかどんなお店の名をご存知でしょうか。記憶にあるお店のうちから、村源、平金、そして今も黒い漆喰の土蔵がある紙町の井弥について摘記して終わりにしたい。

村源薬局
初代村井源之助、高島出身、弘化年間(1844~47)盛岡に下り、村井家で修業後、安政4年(1857)、「近江屋」系列として肴町に古手商を営む、のち、薬種舗を創業。村研薬品は兄の営む村源商店(村源薬局)の卸店である。
現、村井源一氏は4代目。(附中の2年先輩にいらした方かと思います?)

平金商店
初代近江屋治郎兵衛、高島出身、元禄末期に呉服町で南部藩の貨幣の鋳造を行った。藩政時代は御用商人の酒屋として、6代目の平野金八は、明治12年、油町から十三日町に移転し、墨、紙、雑貨商を開業。このとき、先祖から受け継いだ酒蔵は、日詰の「伊勢屋」(平井六右衛門)に譲った。
明治17年、河南の大火で呉服町へ移転、明治21年、肴町に当時としては珍しい文房具類・紙・茶を販売する「平野金八商店」を開業した。
現在、九代目平野啓造三氏、事務機、什器、OA機器を販売している。(一族が附中の年先輩にいらした方かと思います?)

井筒屋(井弥) (たくさんの「井筒屋」があるが、現在の井筒屋に限定)
初代、井筒屋弥兵衛こと村井弥兵衛、高島出身、「井筒屋」の支配人から独立して、天保3年(1832)に呉服・大物商として出発。井筒屋弥兵衛は氏と名を一字ずつとって「井弥」と屋号を定めた。豪商、小野組の影響を強く受けた。小野組は明治7年に破産したが、生き残った少数の井筒屋系商人。
明治中期から、紙、醤油、味噌に職変えして、盛岡きっての大商人となった。
紙町(上ノ橋町)に黒い漆喰の「井弥」の土蔵があり、現在は正食普及会とある。 以上完 (6・21 八柳)
 

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