e−たわごと No.114

投稿日 2004/11/01  (続)豆腐の話し
寄稿者 八柳修之


 

高野さんが、附六会便りに「豆腐の話し」を書いておられました。盛岡は全国一豆腐の消費量が多いこと、子供の頃、近くにお豆腐屋さんがあって、よくお使いに行かされたこと、そして、盛岡のお豆腐をもっと宣伝して名物にしようなどなど。豆腐についての高野さんの話を続けたいと思います。

お昼ごろや夕方になると、「トーフー、トーフー」という豆腐屋さんのラッパの音、我々世代の誰にでもある遠い記憶です。お豆腐料理はいろいろありますが、夏は冷奴、冬は湯豆腐、シンプル イズ ベストです。

高野さんのお話にあった盛岡のよせ豆腐。型に流し込まずに凝縮させた水分の多いお豆腐は、今流プリンのようなものでした。けずり節、小ねぎ、生姜の薬味、お醤油をかけて食べる。うーん、食べたいですね。

ところで、盛岡はなぜ、お豆腐の消費量が多いのでしょうか。自分流に考えると、昔から地元産の良質な大豆が容易に得られたこと、そしてなによりも良い水、ミネラルを含有する湧水あったという条件と、お豆腐は手軽に得られる庶民の蛋白源であったからだと思うのです。盛岡のまちは花崗岩の上にあるという話も聞いたことがあり、ミネラルたっぷりの美味しい水もこのためでしょうか。

盛岡は川が多く川のまち、水のまちとも言われていますが、特に河南には御田屋清水と並んで、盛岡三大清水といわれる大慈清水、青龍清水があり、生活用水として使われていました。この鉈屋町界隈は、水が良かったためか、あさ開き、岩手川の造り酒屋があり、大慈寺前には芹田もあった。

豆腐屋さんも数軒あったと思うが、記憶にある豆腐屋さんは、浜藤の向かいにはTというお豆腐屋さんである。よくお豆腐を買ったから覚えていることもあるが、この辺りで只一人、二高へ通っていた娘がいたからであった。器量というより気立てのよい活発な娘でバスケットボールの選手をしていた。

なぜ、そんなに詳しいかって。卒業後、オヤジが勤める東北農試へ就職したからである。「Tちゃん」とみんなから呼ばれ人気者であった。そんなTちゃんであったが、なぜか定年まで独身を通したと聞いた。Tちゃんは一級上だから、もう67か68にはなっている。

話が逸れてしまったが、今、ブラジル、アルゼンチンでは大豆景気に沸いている。大豆は南米ではほとんど生産されていなかったが、ブラジルのセラードと呼ばれる不毛な土地を開拓し、大豆の大規模生産を行い輸出産業に育てあげたのは日本人技術者と移住者であった。技術者の中に品種改良に取り組んだ東北農試のK技師がいた。すでに帰国されたが、オヤジが亡くなってからは音信不通である。以前、「牧童の 年中賀状 二、三枚」という賀状をもらったことだけは覚えている。牧童とはガウチョのことか、移住者のことであろう。

(11・1 八柳)

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