e−たわごと No.115

投稿日 2004/11/09  (続続)豆腐の話し
寄稿者 八柳修之


 

高野さんの「豆腐の話し」を受けて、(続)豆腐の話しを書いたら、田口絢子さんから、「盛岡のお豆腐屋さんの地図、お送りしましたよね」とメールをいただいた。いつも田口さんは、盛岡に関するいろいろな資料や新聞切り抜きを送って下さる。あったかなぁ、と思って探して見たら確かにありました。
「盛岡水の記憶108」(文化地層研究会編、高橋 智代表、15年1月作成)という地図の中にお豆腐屋さんが7軒、記載されていました。

件の鉈屋町のTちゃんのお豆腐屋さんは、廃業していました。鉈屋町界隈では上野(うわの)豆腐店だけが残っていました。高野さんがお使いに行ったお豆腐屋さんは、沢口豆腐店だったでしょうか。加賀野ではこのお店だけが営業しています。

地図の裏に高橋さんが、お豆腐にまつわるお地蔵さん伝説を2件紹介していましたので、要約してお伝えします。
一つは「覚山地蔵尊伝説」である。江戸時代、南部藩主が江戸吉原で辻斬りをし、御用役人に追われ、ある町の豆腐屋に逃げ込み匿ってもらった。藩主は参勤を終え帰盛するとき「困ったときには南部盛岡に来い」と言って別れた。
その後、その豆腐屋が盛岡に来て、藩主から茅町に家を貰って開業した。
江戸豆腐と呼ばれ、城下の評判となって大繁盛した。主人の死後、不憫に思った藩主が地蔵尊を刻ませたという話しである。
もう一話は、寺の下、連正寺にある「豆腐買地蔵尊」の伝説である。
母親が、明日をも知れぬ重病の床にあるとき、せっせと豆腐を食べさせたところ全快した、喜びのあまりお地蔵さんを寄進したという話しである。
一話は盛岡のお豆腐屋のルーツ。二話は親孝行話であるが、お豆腐の効用話しでもある。

ところで、先に私は「続豆腐の話し」で、「お豆腐が盛岡でよくが食べられるようになったのは、地元産の良質な大豆が大量に手に入ったからではなかったか」と書きました。高橋さんの「盛岡豆腐伝説」を読んで、私の勝手な思い込みもあり、訂正の意味で高橋さんのお話を転載します。(「 」内引用)
「伝説の豆腐屋は、地元の大豆を利用して作った豆腐で商売したと伝承されているが、残念ながら盛岡での大豆生産の記録を確認することはできない。
しかし、南部藩という範囲でみれば、県北や八戸地方では、ヤマセの影響で稲作がままならず、大豆を移出作物として作った記録がある。現在でもこの地方で作られている大豆は良質とされる。しかし、大豆がそのままでは主食とはならない。これは手間がかかるものの食べやすい豆腐という食材に加工できる製造方法が、一般庶民にも普及したことであろう」
 文化地層研究会のURL=http://bunkachiso.hp.infoseek.co.jp

(続々)豆腐の話しは終わります。続々という用法で記憶があるのは、若尾文子の十代の性典、岡田茉利子の思春期という映画、ゾクゾク、ゾクゾク、成人向けでしたね。

(11・9 八柳)

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