e−たわごと No.116

投稿日 2004/11/23  囲炉裏
寄稿者 八柳修之
 

「翌日、近郊に昔の曲り屋を建てたという方のお宅へ田口御夫妻と一緒に行ってきました。久し振りに木と炭のぬくもりに浸りました。で、かえり道、盛岡に初雪が降りました・・・去年より6日早いとか」
囲炉裏、赤々と燃える炭、自在鍵に掛けられた底が平らな薬缶、袰岩さんから貰った写真はがきである。
外は雪、気のあった友達と囲炉裏を囲んで、日本酒で一杯やりながら談笑したいものだ。今どき、料理屋でもなく、観光目的でもなく曲り屋を建てたという人はどんなお人であろう。

昔、昭和20年代頃まで、囲炉裏は日常の生活空間の中心であった。一家の主たるオヤジの座る場所は決まっていて、家族といえどもそこに座ることはできなかった。長幼の順に座る場所が決まっていて、下手の台所に近い所が母親の位置であった。
裸電球の下で、オド(父親)が草鞋を編み、その傍らでオガ(母親)が繕い物をし、林檎箱を机がわりに勉強しているワラシャンド(子供達)の姿は、写真や絵本などで、よく見た農村家庭の一般的光景であった。そこには木と炭のぬくもりと共に家庭のぬくもりが感じられる光景があった。

この光景こそ、理想の家づくり=家庭づくりの原点、「家づくりは家族をつくることである」というのが、清家 清先生(元東工大建築学教授)の1960年代からの一貫した設計思想である。
いわく「家を建てるなら、田舎家の間取り、大部屋がよろしい。この時代、親子の問題や非行の問題はなかった。悪くしたのは子供部屋である。子供にプライバシーはない。居間を大きくとり、同じ場所で家族がそれぞれの事をするだけでよい。子供が大きくなってから、家具などで間仕切りをすればよい」と。

最近、子供の非行や親子のあり方、家族のふれあいが大切ということで清家先生の設計思想が見直されてきている。
私は、先生の設計思想に近い家を1981年に建てたが、娘が結婚し息子が札幌勤務となり、夫婦2人となったのを機に、2002年、家を処分しマンション住まいに代えた。私の書斎はなく居間の片隅でキィを叩いている。
次なる決断は、ケア付きマンションか介護施設行きをいつ下すかである。
ウォーキングをして足腰の維持に努め、また、徘徊老人とならぬよう、頭の中身の維持するため、こうして駄文を書き、ますます禿げんでいる。
(注):今後、盛岡弁を使用した場合は、京都の松風さんのために( )内に共通語を表記することにしました。

(11・23 八柳)

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