e−たわごと No.123

投稿日 2005/01/29  (続)竹生健二君
寄稿者 八柳修之


 
昨年の4月から隔週土曜日、近くの鵠沼中学で校舎管理人(小使い)の仕事をし、小遣稼ぎをしている。一日、3回、校舎内を巡視し、電話番をしていればよい仕事、その間は本を読んだり、パソコンをいじくっていればよいというのだからオイシイ仕事である。中学生との接触も結構あるから、普段、老人相手の会話しかしていない者にとってはリフレッシュにもなる。
問題は、22日(土)のように出席したい会があるときである。登校拒否したいのだが、契約である。というわけで、クラス会は残念・・・

ホームページの写真を見ると、お懐かしや、竹生君と松田君の顔が見られた。松田君は六年のとき、竹生君は中三のとき、それぞれお父上の転勤に伴い転校している。付中5回生の会のよいところは、田口絢子さん、山中莞爾君、両永久幹事の懐の深さと追跡調査(?)で、小学校からの転校生も含めた同級会として続いているところにある。
竹生君と松田君と並んで撮った写真があったが、何を話したのであろうか。
私もそこに加わりたかった。竹生君と松田君とは、一年生のときから、お二人が転校するまで、同じクラスであったからだ。
一年のとき、眼鏡をかけた竹生君とその隣の松田君が一番前の座席。竹生君の後ろが私であった。(最近、古い話を持ち出すと、「アン・ヨンジンだ」(どこまでが本当で嘘なのか分からぬこと)と揶揄されるのだが続ける)

入学してすぐ千葉千恵子先生の図画の時間、題材は「鯉幟」、竹生君は一年生の絵とは思えぬほど上手だった。松田君と私はそれを覗き込みながら描いた。
彼は4Bで先ず下書きをしてから色をつけたが、先生は「黄色のクレヨンで縁取りをしてから、色をつけなさい」と書き直しを命じたのだった。(この理由はいまだに分からない。4Bを持っているということが、けしからぬことなのか)
当時の図画、題材自由といえば、戦争の絵、「ときには日本の戦闘機だって落とされることもある」と言って描いた絵も先生に叱られた。それが竹生君の最初の記憶である。
その後、お勉強がよくできて優等生だった竹生君ことはみなさんの記憶にあるとおりです。

竹生君は中三のとき転校しているが、昭和42年頃、青山の筒井さんのお店、コジーで一度、ミニクラス会を開いたとき出席している。小川さんも出席していた記憶がある。そのとき、竹生君は「ケチカワジマ アクマ ジュウロウドウ」に勤めていると言った一言を覚えているからだ。竹生君は子供の頃から、そんなところがある少年だった。自らを「ジンケ オケタ」とも言っていたね。

竹生君には、その後は会っていないが、ロケットの研究をしている弟から、「竹生さんって、兄貴の同級生でないか。ロケットの研究者として活躍している」ということを聞いたことがあった。次回のクラス会には是非会いたいものだ。
(1・29 八柳)

TOPページへ


iwayama3 since2002.11
Presented by Ayako Taguchi