e−たわごと No.125

投稿日 2005/02/06  記憶の違い
寄稿者 八柳修之
タイトルは「記憶違い」の間違いではない。「記憶違い」が重要である。
田口さんが、「続・続 竹生さん」で竹生さんと私が記憶力がよいという話をしている。「記憶力がよい」といっても、一緒くたではない。その質において大きな差があることを、私は述べておきたい。ゾクゾク続く、フゾク

竹生さんのメール(ご本人了解を得て)
先日はお会いできなくて残念でした。さて修之さん(注:修之さんなんて呼ばれることは滅多にない)に関しての小生の思い出を一寸書かせてください。
小学校高学年か中学校の時、国語の読本で以下の話を読んだ。デンマークがドイツとの戦争で、シュレーズウィッヒ・ホルシュタイン州を失ったとき、国民が国土復興に向けて植林をした。その木がプラタナス。植林をすると国土がなぜ復興するか、今は全く覚えていないが、そんな話を授業で読んだとき、貴殿が「プラタナスなら俺んち(の近く?)にあるよ」といったので、それを見に行こうと数人が貴殿の後について行った。
街路樹のプラタナスを見ると、いつも貴殿のことを思い出す。

小生のメール
先般は残念ながらお会いできませんでしたが、こうやってメールを交換できるとはねぇ。懐かしいですね。
プラタナスの話し、貴兄の記憶に間違いありません。住んでいた官舎にはなぜか、プラタナスの木が一本ありました。プラタナスは庭木ではないのですがね。国語の教科書の話は忘れてしまいましたが、貴兄が佐藤信生君と一緒に我が家に来たことは、私もはっきり覚えています。
その当時、私は東安庭の東北農試の官舎に住んでいました。学校からは4キロ以上はあったと思いますが、そんな遠くまで・・・
貴兄の好奇心・探究心がそうさせたのですね。驚きです。今、考えるとさすが竹生君と言うしかありません。

さて、ここで竹生さんの記憶は、1)教科書の内容(太字部分)、しかも、舌を噛みそうな州の名前まで覚えていたこと、驚きである。2)プラタナスの木を実際に見てみたいという好奇心、3)プラタナスから私(八柳)へ記憶

私の記憶は、1)家にプラタナスはあったこと。2)竹生さんが来た記憶は、おそらく私の家が街外れにあり遠かったので、友達が訪ねて来ることは稀だったから、覚えていただけのことではないか。私の記憶の大半は断片的、映像的に思い出される記憶であり、竹生さんのような知識や論理的記憶ではない。

ところで、件の試験場は2001年2月、閉鎖され、約11ヘクタールの敷地は、最近、住宅地になったということを風の便りに聞きました。もちろん、プラタナスの木はありませんが、次回の同級会、盛岡で開催するようなお話を聞きました。竹生さんが盛岡に行かれるなら是非出席したいと思います。

暇人調べ:
「近代に至りプロイセンとの戦争により南部のホルンシュタイン州などを失い、またナポレオン戦争においても・・・危機的状況に瀕した。植林などの産業振興によって、この危機を乗り越えた歴史は、日本では内村鑑三の「デンマルク国の話」に紹介された。(デンマーク政府のHP)
なぜプラタナスを植林したのかについては、HPでは触れられていない。
プラタナスは、いまでは街路樹として植えられ、用材としての価値は高くない。
しかし、特性を調べると、移植が容易、成長が速く耐煙性、耐潮性に優れているとある。
割譲を免れた荒廃地に植林されたのではないかと想像される
そして、国語の教科書に採り上げられたのは、戦後、「禿山坊主のお山に杉を植えよう」という運動に呼応したものと思われる。私にとって一年で最も憂鬱なシーズン、スギ花粉がやがて飛んで来る。

(2・6 八柳)

TOPページへ


iwayama3 since2002.11
Presented by Ayako Taguchi