e−たわごと No.126

投稿日 2005/02/11  岩手のサッカー育ての親
寄稿者 八柳修之


 
北朝鮮とのサッカー、とにかく勝ててよかった。そして、これまで控えに甘んじてきた小笠原選手も得点でき、ようやく認められてよかった。
岩手出身のサッカー選手の活躍といえば、あの伝説のキャプテン、中年の星といわれた八重樫茂生選手以来のこと、小笠原選手の今後の活躍を大いに期待したい。ところで、八重樫選手は盛岡一高、早大、古河電工で活躍した名選手、メルボルン、東京、そしてメキシコオリンピックでは見事、銅メダルを獲得したときのキャプテンを務めた。当時、選手だった川渕、杉山、宮本(没)、釜本、松本、片山、森、横山、いずれも現在の日本サッカー会の重鎮である。

サッカー後進県である岩手、八重樫選手を名選手にした伯楽といわれた人、工藤孝一(栄一ではない。栄一は中学の体育教師)のことについては、あまり知られていない。 (以下の話は、稲門会の関係者から聞いた話である)

工藤は八重樫と同じく、盛岡中学、早大を出て戦前、ベルリンオリンピック日本代表のコーチ、早大サッカー部の監督を務めた。戦後、故郷の盛岡に戻って、盛岡一高など県下の中学高校サッカーの指導にあたった。岩手県サッカー協会を設立したのは工藤であるという。(これは調べてみれば分かるがHPはない)
その後、工藤は再び東京に戻り、早大体育局勤務、10年余、早大サッカー部の監督を務めた。教え子には、八重樫のほか、川渕、釜本、松本育夫らがおり、練習のオニといわれる監督であったようだ。

ここで、また古い話しになって恐縮だが、私が中学1年、まだ小学校の校舎に間借りをしていた頃、工藤孝一が3年生にサッカーの指導に来たことを覚えている。なんでも、昔、早稲田の監督をしたエライ人だと聞いたからであった。

当時、スポーツは弱かったが、工藤栄一先生が本宮中学から赴任してからは、陸上競技では県下に名をとどろかすようになった。サッカーは厨川中学が常勝・全盛であったが、27年、市内大会で厨川中学を破り初優勝をしたことがあった。この試合、厨川の執拗なファールとチャージに合いながらも耐え抜いた。
あっぱれ!!

当時のメンバーで記憶にある選手(漏れた方はゴメンナサイ)は、キャプテン石原、丁子、藤井、梅津、岡田、丑込、深沢と梅原は助っ人、下級生では宮本、川口、小川の面々、フォーメーションは当時、5・3・2・1であった。
附六会掲示板に登場する関さん、よく休み時間にボールを蹴っていたが、優勝時のレギュラーであったかは? そして、もしかして、工藤孝一監督のご子息であったかも知れないが、工藤という下級生もボールをよく蹴っていた。
(2・11 八柳)

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