e−たわごと No.133

投稿日 2005/03/11  十一屋物語に見る家訓
寄稿者 八柳修之
 
一代で財を成した堤 康次郎が残した「家憲」、それを頑なに守ったがために息子、堤 義明は西武王国を崩壊させてしまった。家憲、家訓といわれるものは、憲法と同じように時代に即し改正しなければならぬと思うが、改正してはいけない普遍的な事柄がある。それが十一屋、木津屋にあった。
十一屋二代目、正吉(1603〜1672)、21歳で家督を相続し財を成し、儲けた金で久昌寺を建立、寛文12年、69歳でこの世を去った。正吉の残した遺言は、その後の十一屋の家訓ともいうべきもので、経営者はかくあるべし、と頷かせるものがある。
正吉の遺言状は、享保14年(1724)の大火災の際、徳川秀忠の書とともに命がけで持ち出された十一屋に残る最古の文書であり、次のように現代文に直され、紹介されている。主なる部分を紹介したい。

一、正直と慈悲を第一にしなさい。親類であってもお役所の請取物や
  商売上の仕入れに立ち入らせてはいけない。またたとえ、親類で
  あっても担保なしに金を貸してはいけない。
一、召し使を酷使してはいけない。情をかけて注意して召し使なさい。
一、自分より目下の者には情をかけなさい。これは何も商売に限らず、
  自分の得ばかり考えてはいけないことを言っているのだ。その場合、
  その行為や人の気持ちをよく考えて行いなさい。
一、若い店員たちの商売の勘定は一ヶ月に一度づつ、必ず売った品物の
  金銭収支がどうなっているかを聞きなさい。たびたび聞いて確かめ
  ないと店の金に間違いができるものだ。
一、木綿の小売は少しぐらい値段が下がって来ても自分のところで売り、
  決して掛売りにしてはいけない。
一、博打はどんなことがあってもたとえ一文でも、勝負してはいけない。

正吉の遺書は330年前のものである。今、みなさん、これを読んでどう感じるでしょうか。

木津屋池野家にも五か条の家訓がある。寛永のころ(12年?か、1635)、盛岡に移り住んだ初代池野藤兵衛は、もともと京都の木津川の畔に住んでいた武士であった。師と仰ぐ学僧方長老(ほうちょうろう)が、国書改ざん事件(注)に連座して盛岡に流され、藤兵衛は方長老に従ってやって来た。その方長老が、藤兵衛が六日町で雑貨屋を開業するにあたって、指針として申し渡したものが、家訓となっている。(e−たわごと042 木津屋のルーツ参照)
ちなみに、初代藤兵衛が開業したころ、すでに十一屋は開業して34年余、初代祐政はすでに隠居し、正吉が家督を継いでいた。
一、慈悲をもととすべし 一、正直を守るべし  一、自他利益を旨とすべし
一、平等に客を敬うべし 一、遵法奉仕を重んずべし

この木津屋の家訓は十一屋の家訓と合い通じるものがあり、慈善も家訓に一つとなっている。そして木津屋の家訓は、いまでも社訓として生きている。(3・11)

(注)国書改ざん事件:当時、朝鮮との外交は対馬守が当たっていた。朝鮮側が当方は国王名で文書を出しているのだから、日本側も国王名で文書を出せという要求があった。
困った対馬守が幕府に相談せず、徳川将軍を日本国王として文書を出した事件、方長老はこの文書作成に関与していた。

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