e−たわごと No.134

投稿日 2005/03/11  十一屋物語に見る家族
寄稿者 八柳修之
 
十一屋物語の巻末に初代祐政から十三代目の欣ちゃんに至るまでの高橋家の系譜があり、男42名、女23名、計65名の人が載っている。これを見ると早世した人は、男14名、女10名、計24名、なんと早世率は37%にも達している。
特に女のそれは43%にもなる。欣ちゃんは男三兄弟かと思ったが、昭和7年生まれのお姉さんがいたのだが、生後百日で風邪から肺炎で亡くなっているのだった。

これについて、政祺氏はお医者さんらしく、『盛岡の厳しい冬の自然条件、加えて「麻疹(はしか)は命定め、疱瘡(ほうそう)は器量定め」といわれたように、この二つの伝染病が大きく人の命にのしかかった。さらに青年期における労咳(結核)、家業の酒造業から類推される胃潰瘍、肝疾患が死因』に挙げている。特に悲劇的なのは本家五代目の政雅(まさただ)とその家族である。この政雅の父四代政章は39歳で亡くなり、18歳で家督を相続、48歳で亡くなっているが、兄弟6人のうち末弟以外はみな先に亡くし、8人いた子供のうち5人が早世している。結局、政雅の代で本家はつぶれて、分家の六日町十一屋が継承している。
系譜には分家三代政宥以降、亡くなった人の享年が記されている。明治以前の人の寿命(10歳以上生存した人)は単純平均で男42歳、女55歳である。欣チャンの祖父以後亡くなった人を入れても男は50歳、女60歳、現在の平均寿命からすると極めて短い。これが平均的日本人の寿命であろうか。

江戸時代の婚姻関係、特に商人の場合は、一族間、素性が知れ信用のおける家との間で、嫁のやりとり、養子の迎え合いなどが繰り返されている。したがって、いとこ同士や親戚間の重縁が多い。商売の連帯保証は親戚しかしてくれないし、何か問題を起こせば一族の恥、一蓮托生、連帯責任である。
結婚相手は釣り合いの取れた信用のおける家でなければ危ない。知らない家との親戚関係になるのはリスクがあるから、安全を考えれば一族の中でということになる。この辺のところは、近江商人が使用人に暖簾わけしたりしてネットワークを広げ、婚姻も広い範囲で行われていったのとは、事情が違うようである。

木津屋池野氏との関係は、分家二代政福(まさよし)の娘、此花を享保13年(1728)、16歳で池野氏に嫁に出しているのが始まりである。初代池野権兵衛が盛岡に来てから、十一屋との婚姻関係ができるまで93年かかっている。
それから34年後、十一屋(3)で述べた写真に見られる自画像を描いた七代政満の次男、三治(祐澄)が、5歳で木津屋池野氏に養子に出されたのは宝暦18年(1762)のこと。のち、祐澄(すけずみ)は木津屋池野惣本家四代目藤兵衛となっている。これで十一屋と木津屋との関係は磐石になったと思われる。
そして、祐澄の娘、のぶは十代政直と結婚している。のぶは欣ちゃんの祖父、十一代政道の母親に当たるが、なかなかうるさい人であったようで、嫁を二度離縁している。物語を読むと、嫁を離縁したケースが多くみられる。嫁は最初、家風に馴染むまでは辛い立場にはあったであろうが、ひとたび実権を握ると発言力も強くなるようである。政祺氏によれば、「当時の日本の家族制度の悲劇であり、嫁と姑の確執によるものであることは疑う余地もない」としている。

村井茂兵衛(鍵屋)との婚姻関係は、九代政愛(まさき)の娘、美名(みな)を天保10年(1839)、鍵屋村井京助へ嫁がせているが、村井氏との関係は強くはないようである。近江商人とは相容れない一線があるのかもしれない。

以上をもって、「十一屋物語」の紹介を終わります。ご関心のある方は「十一屋物語」(盛岡タイムス社発行、定価952円)をどうぞ。  (3・11)

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