e−たわごと No.139

投稿日 2005/06/13  みちのくぶらり5人旅(2)
寄稿者 八柳修之

6日(月)、今日は盛岡までの行程である。夕べの会食で、みなさん、鮎の塩焼きを食べたいという話し。一関から東に猊鼻渓、西に巌美渓あり、川があるから鮎はいる筈だと一也さん。丁子さんは久しく中尊寺には行ったことがない、毅さんと小生は中尊寺への途中、達谷窟(たっこくのいわや)に寄りたいということで、ルートは一関、巌美渓、達谷窟、中尊寺、盛岡と決まった。
 巌美渓は一関ICから西へ6キロ、磐井川の川沿いを遡ると突然景色が一変、
エメラルド色の清流が流れ、侵食されてできた奇岩、怪石が景観を造りあげている。ここは両岸の上から覗くだけ。駐車料500円、但し500円以上の食事をすれば無料だという茶店に入る。期待した塩焼きはなかったので、一本100円のカッコウ団子を食べる。川がエメラルド色に見えるのは硫酸銅のせいではないか。とすれば魚は住めないのだが。

このあと訪れた達谷窟は平安時代初期、都に対する抵抗勢力、蝦夷の王である悪路王(アテルイ)が坂上田村麻呂の東征に抵抗するため立て篭ったといわれる所である。延歴20年(801)、田村麻呂が鎮圧後、岩窟に京都の清水の舞台を真似た毘沙門堂を建立したという。だが、案内板の説明は気に食わない。
 「この窟を根城に良民を苦しめ女子供を掠めるなど、暴虐の限りを尽くした悪路王を、征夷大将軍坂上田村麻呂公が激戦の末、蝦夷を征伐しました」とある。この歴史の視点を蝦夷の視点から見直したのは、クラスメートの工藤雅樹教授であり、古代東北蝦夷論の第一人者であることなど話す。

毛越寺(もうつうじ)に向かう。浄土庭園の大泉が池を観るためであるが、一也さんには芭蕉の句碑を訪ねることもあった。毛越寺の入口で先ほど話題になっていた工藤雅樹さんと偶然にも出合う。セミナーの受講者を案内しているところであるという。すごい出会いの確率である。やぁ、やぁということで記念撮影した。
夏草や つわものどもが 夢の跡
The summer grass Tis all that’s left of ancient warriors dreams.
 芭蕉の句碑の反対側に新渡戸稲造の英文訳の碑があった。

中尊寺の月見坂の下に着いたのが、12時少し前。むつみという食堂で蕎麦を食した。「俺の名は睦だ」と言ったが、もとより安くなる筈はない。
 月見坂を上って本堂、金色堂へ。金ぴかよりも、螺鈿、紫檀、アフリカ像の象牙などの材料は、当時の交易の広さを物語るもので興味深かった。
五月雨を 降り残してや 光堂

中尊寺を後に盛岡へ。今度は間違わず盛岡ICから天神様脇の田口さんのマンションへ直行し4時前に到着。9階の広い専用ベランダで田口さんの歓迎を受けビールで喉を潤す。6時半からミニクラス会開始、小川さん、袰岩さん、そして館澤さんは東根山登山から直接駆けつけるという。
 時間まで、丁子さんと天神様から附属の辺りまで散策した。天神様には「石割梅」があり発見であった。小学校、中学校、そして周辺の景色はまったく記憶とは違うものになっていた。それはそうだ。もう半世紀以上前のことなのだから。

7時ごろには全員集合、爽やかな夜風を受けながらのミニクラス会となる。再会とお互いの無事を祝し、話題は弾んで弾んでイロイロ。豪勢なお寿司と袰岩さん持参の大吟醸「浜千鳥」は一層会話を弁舌にする。ここはお泊りする所、千鳥足で帰る心配もなし。現地語も飛び出してもヒアリングは完璧に近い。関さんのために通訳が必要であったが、最後は通訳なしでも、雰囲気で理解されたようだった。田口さんのご主人も法人会の表彰から駆けつけカダル(=加わる)。名誉クラスメートである。お話の内容は書ききれないので、田口さん撮影の写真をもって感じてもらいたい。

9時過ぎ、名残を惜しみつつお開きとなった。明日、毅さんと小生が、たぐち脳神経外科で脳の検査をするための配慮であったのであろうか。
(つづく)

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