e−たわごと No.142

投稿日 2005/06/19  みちのくぶらり5人旅(5)
寄稿者 八柳修之

9日(木)、魚市場の朝、老人の朝は早い。老人でない人1名を除き、5時過ぎ宿から歩いて数分の気仙沼漁港魚市場へ行く。鰹は今日初水揚げとあってTVの取材、その他重装備のカメラマンがシャッターチャンスを狙う。船からベルトコンベアを使って水揚げされた鰹は秤にかけられ手際よく選別される。
働く人の姿は絶好の被写体であるが、ド素人はドヤサレルので遠くから撮影。サメはすでに頭と内臓は切り取られた姿で水揚げされる。なんでもサメの頭は腐りやすいので現場で処理されるとか、関さんの話。
気仙沼はフカヒレ漁獲高日本一。ところで、サメとフカとはどこが違うの。答えは同じ、学術的にはサメが正しいそうです。

気仙沼漁港の水揚げ風景、小心者は近づけずこんな写真
 
8時過ぎ宿を出る。今日の予定は牡鹿半島の先端まで行き金華山を望み、石巻で昼食。仙台は素通りして帰りは浜通り、相馬か原ノ町で一泊の予定である。
国道45号線を南下、ところどころ左手に海の景色が見えるが、北の三陸海岸とは違って女性的。本吉町、歌津町、志津川町と今日は昨日の捕り物に懲りて順法運転。北上町という町で北上川を渡る。北上川の河口は石巻かと思ったが、登米という町から放水路ができ、こちらが本流となったようだ。北上川をドラム缶を組んで川下りした現国会議員がいたね。

女川町から牡鹿半島の尾根道にできた牡鹿コバルトラインを通る。有料かと思ったが無料、女川には原発があるから、その補助金を使ったのでしょうかね。コバルトの海を眺望しながらかと思ったが、ほとんど山の中、行き交う車もなく先端の御番所跡展望台に到着。360度展望できたが、とんがって見える筈の金華山(島)の頂上部は雲にお隠れ遊ばす。

前方の金華山(島)はオショシくてお顔を見せない。
 
お腹も空いて来たので石巻へ。鮮魚センターを選んだのは正解、定食は○。
ホタテの貝焼も付きめいめい焼く。フランスパンをお汁に浸して食べるもよし。
石巻から三陸自動車道に入るが、丁子さんが五大堂の前を通りたいというので一旦一般道に出る。五大堂の辺りはさすが修学旅行や観光客で溢れている。旅行して見る観光地初めての人出風景。五大堂、やはり思い出の旅になりましたね。だが仙台は4年間もいた2人はパスしてよいという。まさかあとの3人に配慮したわけでなかったようだが。

仙台空港がある名取までは道路がよくスイスイ。その先、国道6号線、4時、相馬、ホテルはなさそう。パス。原ノ町のノが抜けて原町市となっていた。浜通りは観光不毛地帯である。いわきもパス。魚を求めて港町小名浜に。ホテルは一発OK、その名はパレスホテル。7時過ぎ時間も遅いのでホテルの料理屋で夕食。ここまで来れば、明日は東京。今夜は最後の夜、お料理はお店のお勧めどおり言いなり、なにはともあれ鰹の刺身が一番。

10日(金)8時出発。昨日来、浜通りに入って、観光地はなにも見ていない。
というより、我々を魅了するような見るべきものはなかったともいえる。
一つぐらい何か入れないと、常磐道通った意味がない。往路は白河の関を越えた。とすれば最後に勿来の関跡に立ち寄ろう。
源八幡太郎義家が奥州征伐(嫌な言葉だが)のとき、ここに駒を止め、
 
「吹く風を 勿来の関と思えども 道もせに散る山桜かな」
と詠んだ関所跡、白河、念珠(山形)とともに奥州三古跡である。
なこそ、「来る勿れ」ここから先は都人が奥州への脅威からこう言ったのか、それとも奥州人が彼らの支配地への侵入を拒否したのか、いずれにも取れる。
我々には関所から先はよい所であった。後者の説をとりたい。

勿来の関跡、ここが、観光地と観光不毛地の分かれ目帯
 
9時、勿来ICから常磐道に入り、あとは我々にとってはさらなる観光不毛地帯、一路東京へ。三郷ICに入る頃、雨が降り出す。12時少し前、ここから先はいつも渋滞となるので、ラーメンを食べ、精算し旅を締めくくる。走行距離約1,600キロ、使った費用締めて一人7万円(ガソリン・罰金を含む)。2時過ぎ新宿着解散。この日、東京は入梅宣言。
私の最大の成果は脳チェック、女房への最大プレゼント。お天気に恵まれ、友に恵まれた6日間でした。田口さん、袰岩さん、小川さん、舘澤さん、そして絢子さんのご主人様、Dr.田口、クリニックの皆さま有難うございました。そしてお疲れ様でした。
(完)

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