e−たわごと No.146

投稿日 2005/08/22  義経考(2)
寄稿者 八柳修之

NHK大河ドラマ「義経」は、結構、視聴率が高いという。日本人はやはり「義経びいき」「判官びいき」なのであろうか。
7月21日は藤沢の白旗神社の例大祭であった。白旗神社の祭神には、もとは相模国の寒川神社の「寒川比古命」であったが、源義経も死後、祭神として加わっている。また近くには「源義経の首洗い井戸」と「首塚」があり観光客で賑わっていた。今年限りのことであろうが・・・・

社殿の石段の下に新しい源義経公顕彰碑がある。案内板にはこう書かれている。「文治5年(1189)閏4月30日、奥州平泉、衣川の高館で、藤原泰衡に襲撃された義経公は自害して悲壮な最期を遂げた。その御骸は宮城県栗原郡栗駒町の御葬所に葬られ、また一方、御首は奥州路を経て、同年6月13日、腰越の浦の首実験後に捨てられたが、逆流し白旗神社の近くに流れ着き、藤沢の里人により洗い清められて葬られたと語り伝えられる。
本年(平成11年6月30日)、源義経公没後810年を記念し、両地有志の方々により、「御骸」と「御首」の霊を合わせ祀る鎮霊祭を斉行し、茲に源義経公顕彰碑を建立する」。

ところで、源義経公顕彰碑の案内を読んで、みなさん、どう思われましたか。
これが、私が持った疑問で、書く気になった理由です。
義経が自害したのは4月30日、その首は酒を入れた首樽に入れられ、奥州路を約500キロ、腰越に着いたのは6月13日でした。この間、なんと45日間もかかったのでした。首を運んだ人は、一日平均わずか10キロ程度しか歩いていないことになります。何故、45日間もかかったのでしょうか。あるいは意図的に45日間もかけたのかも知れません。鎌倉に運ばれ、首実験されたときはその腐敗臭にみな顔を背け、腰越の海中に投棄したと言われます。果たして義経の首であったのか疑問も出ます。こんなところからも、義経の替え玉説、生存説も出たのではないでしょうかと思うのです。

そして、もう一つ。腰越で捨てられた義経の首が、白旗付近まで流れ着くでしょうか。境川の川べりを散歩している私にとっては、体験的に満ち潮のときに逆流する地点がずっと川下であることが分かっているからです。これも疑問符です。
しかし、文献によると、「腰越に捨てられた首は亀に背負われて境川を遡ったという伝承がある」そうです。歴史はロマンが必要ですね。
これから壇ノ浦の合戦、そして義経と頼朝の確執の表面化、いよいよ前に書いた満福寺の腰越状などTVに出て来ます。何だかんだと言って、毎週日曜日TVを観ている私です。
 

白旗神社の例大祭

義経首洗い井戸
 
(8・22 八柳)

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