e−たわごと No.147

投稿日 2005/08/28  65年をふりかえって [工藤雅樹]
寄稿者 八柳修之

これは、蝦夷古代史の泰斗、工藤雅樹博士が03年3月、福島大学教授退官の最終講義録中の巻末に掲載された65年の回顧のうち、大学時代入学までの思い出を紹介するものです。
日経の「私の履歴書」、読んでおられる方は多いと思いますが、大体、面白く読めるのは子供の頃の話しです。実は田口絢子さんから、どかっと関係資料が送られて来ました。私にとっては関心のある分野ですが、専門的なので要約して紹介できません。今度、工藤先生にやさしくお話していただく機会があれば、いいなぁ、と思っています。(原文に忠実に入力しました。八柳記)
 
 私が東北大学文学部に入学したのは1957(昭和32)年のことである。
高校時代には天文部の活動に明け暮れ、流星観測や星食観測などと称して部室に泊り込むことも普通で、受験勉強のようなことはほとんどやらなかった。
当然のように初年度の受験は見事に失敗し、一年間の浪人生活を経ての入学であった。
なぜ文学部を受けたかといえば、たまたま高校3年の時の実力テストの国語がかなり良い成績だったことから、もちろんそのような淡い期待は見事に吹き飛んだのではあるが、あわよくば初年度合格の可能性もあると考えたことが大きかったと記憶している。ただし受験科目では地学には自信があった。
とはいうもののこれもいわゆる受験勉強をしたからではない。天文ボーイとしての知識がものをいったにすぎない。
当時岩手県では地元新聞社主催の学力テストなるものがあり、このテストでは地学だけは何回か連続して県でトップの成績で、理系の友人をくやしがらせたものである。

 そんなことで二年目の受験では東北大学文学部とともに、二期校は東京学芸大学の理科に出願した。当時東京学芸大学には天文学史で有名な先生がおられたからである。この時期の私はまだ天文学にかなり未練があったわけで、天文学の有名な先生のお名前は沢山知っていたが、考古学や古代史の先生方のお名前はもちろんのこと、広く歴史の先生も受験参考書の著書の先生を除いてはまったく知らなかった。さらにまた、大学には学部の上に大学院という課程があるということも知らなかった。
ただ漠然と考えていたことは、父が教師であったことから、自分も同じような道をたどることになるだろうとい程度のことであった。だから将来どのような人生をたどりたい、だからどこの大学のどの学部に入るなどということはほとんど考慮外だったのである。

 ただし中学でも高校でも日本史はどちらかといえば得意であった。ただしこれも勉強をしたからというよりは、子供の時からの雑学がものをいったからである。
私の雑学の由来は次のようなものである。私の父は教師で、私が入学した岩手県二戸郡荒沢村五日市小学校(当時は国民学校といった。なお荒沢村は後に隣の田山村と合併して二戸郡安代町となり、近年二戸郡から岩手郡に所属がかわった。また五日市小学校はこの3月で廃校となるという)の校長は父であった。そして私どもの家族は校長住宅に住んでいたが、校長住宅とは名ばかりで、実際には学校の宿直室が住まいであった。

そしてそのような状態は父が岩手郡滝沢村滝沢小学校に転勤した後も続いた。父は家族とともに宿直室に住み、夜は毎日教室の見回りをし、なかでも冬のストーブの火の始末は重要な任務であった。だから私は授業が終わった後の時間も日曜日もすべて学校のなかで過ごしたのである。
戦争末期から戦後すぐのことであるから、学校には児童用の図書はほとんどなかったが、職員室には教師用の若干の参考書や郷土史の本はあった。そんななか私の愛読書は学校にある上級生の歴史・地理・国語・修身などの教科書や教師用の図書だったのである。とりわけ記憶にあるのは『人類と生物の歴史』(小学生全集というシリーズの一冊だった)という題の本や分厚い自然科学の事典だった。この事典には宇宙にはエーテルというものが充満しているということなどが書いてあったように思う。このようなわけで中・高校生になっても読書だけは大好きだった。
小学校六年になる時に父が盛岡市内の学校に転勤になり、私は盛岡市の城南小学校に転校し、ここで朝から晩まで学校で過ごすという生活は終わったのである。

ところで当時の荒沢村・滝沢村はまだ純然たる山村・農村で、母は村の方々に栗拾い・山菜取り・きのこ取りなどに連れて行ってもらい、また山で捕ってきたウサギの肉などのおすぞわけもあった。栗・山菜そして粟や稗は大事な食料資源であり、わら靴などは生活必需品であった。村には水車がまわっており、水路には麻が漬けてあった。
後に私が古代の蝦夷を研究するようになった時、子供心ではあったが現代化以前の東北の山村・農村の原風景を体験していたことが大きな財産のなるとは思いもよらなかったことである。
中学は岩手大学学芸学部附属中学校、高校は盛岡第一高等学校であったが、その時期のことはここではくわしくは述べない。 (完)
  

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