e−たわごと No.150

投稿日 2005/09/03  地名「別」と「内」  [工藤雅樹]
寄稿者 八柳修之

先に工藤雅樹博士の「65年をふりかえって」(「福大史学」退官記念特集号、巻末掲載、大学入学までの回顧)を紹介しました。小学校6年ころまでの育った環境や教育が、その後、その人の人間形成、人生にいかに影響するか教えてくれるものでした。
さて、最終講義のメインは「東北古代文化研究のあゆみ」である。そのなかで、学界では古代の蝦夷はアイヌにほかならないとする蝦夷アイヌ説と、蝦夷とは辺境に住む日本人(辺民)であってアイヌではないとする蝦夷辺民(日本人)説が対立しており、両説を検討する形で蝦夷とアイヌとの関係を整理している。
興味のあるところ(私にとってであるが)以下、全文引用の上紹介します。
 
 蝦夷アイヌ説は歴史のある学説で、新井白石や本居宣長説に求められる。
近代になっても説の論拠は、アイヌはかっては日本全土にひろがっていた先住民族であるが、後に大陸から渡来した日本人に追われて北上したというもので、古代の蝦夷は北上のさなかのアイヌだというものである。
金田一京助も蝦夷アイヌ説で、その論拠のなかで、地名からみると北海道と東北は連続していると指摘している。東北地方もかってはアイヌ世界の一部であったと考えてよいのではないかとしたのである。

北海道のアイヌ語に由来する地名のなかでもっとも多い形は語尾にペッ「一般には大きい川」、ナイnai「一般には小さい川、沢」が末尾につく形である。
(登別(ヌブル(濁った)・ペッ(川)nupur-pet)、稚内(ワッカ(水)・ナイ(沢)wakka-nai)。アイヌ語地名研究の第一人者であった山田秀三によれば「いままでの調査経験からすると、北海道アイヌ地名の約三分の一がペッとナイのつく地名」だという。

 東北地方でも「〜ペッ」のタイプの地名は少なくない。秋田県仁別(にべつ)、津軽半島の今別(いまべつ)などがそれで、苫米地(とまべち、toma エゾエンゴサクの塊茎、tomamu 湿地、青森県三戸郡福地村)のほか、〜淵(ぶち)、
〜部(べ)、〜辺(べ)、〜壁(かべ)、〜首(かべ)の地名も「〜ペッ」に由来する可能性がある(ただしこれらは-pe〜する(ある)もの、のタイプかもしれない)。
馬淵川(岩手県北部に発し青森県八戸市で太平洋に注ぐ)、長流部(おさるべ、岩手県二戸郡浄法寺町)、袰部(ほろべ)、袰部沢(岩手県二戸郡安代町兄畑)、乙部(おとべ、岩手県下閉伊郡田老町、盛岡市都南)、達曾部(たっそべ、カバの木の皮、-sos(剥ぐ)-pe、岩手県上閉伊郡宮守村)、女遊戸(おなつぺ、岩手県宮古市)なども「〜ペッ」のタイプの地名かもしれない。

 東北では「〜ペッ」よりも「〜ナイ」のタイプが多く、十腰内(とこしない、弘前市)、平内(ひらない、青森市)、小保内(おぼない、秋田県仙北郡田沢湖町)、毛馬内(けまない、秋田県鹿角市)、柴内(しばない、秋田県鹿角市)玉内(たまない、秋田県鹿角市)、相内(あいない、青森県三戸郡南部町)、行内(ゆくない、秋田市)、沼宮内(ぬまくない、岩手県岩手郡岩手町)、萪内(しだない、盛岡市)、米内(よない、{I-o-nai それ(語尾のイは「それ」の意味で、大切なもの、蛇・熊など恐ろしいものなどを、その名を直接に呼ぶことを憚って「それ」といった)・うようよいる・ナイ、盛岡市}、浅内(あさない、岩手県下閉伊郡岩泉町)などがある。紙数の関係でアイヌ語地名のさまざまな例をあげることはできないが、東北地方には北海道のアイヌ語と同じ系統の言語を持っていたことを示す有力な根拠となるものであろう。

だれが漢字を当てたのか、女遊戸(おなつぺ)なんて変な地名、盛岡に萪内(しだない)なんていう地名があることを知った。田口さんの住む米内、なにがうようよいたのだろう。
古くからの地名は、その時代、その地域に住む人々の暮らしの必要性から名づけられ使用してきたものであり、地形、地勢を表したものが多い。やたらどこにでもある町名に変更してほしくないものだ。(完)
  

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