e−たわごと No.153

投稿日 2005/09/23  記憶の映画
寄稿者 八柳修之

細越麟太郎さんの「わが青春の盛岡国劇追想録」、自分の思い出とも重ね合わせ懐かしく読んでおられる人が多いと思う。
最初に観た記憶の中にある映画はなんであったろうか。私の場合は、なんとか狸御殿という映画である。小学校へ上がる前の年であったから、昭和18年であったと思う。なんでも盛岡出身の女優が出演するとかで、母と伯母に連れられて行かれただけのことである。映画館は三笠劇場、盛劇の隣にあった。
もちろん、ストリーは覚えていないが、ラストシーンはマツケンサンバよろしく着物に着飾った女性たちが踊っていたと思う。
中学に進んでから、この映画の主演女優は宮城千賀子、実家は呉服町の佐藤歯科、しかも同級生の佐藤 佑さんの叔母さんであると知った。
いま考えてみると昭和18年といえば、戦争の真っ只中、よくこんな娯楽映画の製作が許されたことに驚くのである。
三笠劇場は戦後しばらくあったが、いつの間にか取り壊された。盛劇も経営が立ち行かなくなり、一時、花巻の谷村新興製作所というテレタイプを製造する企業が買取ったが、現在はまた盛劇として復活、鈴木彦次郎さんが始めた盛岡文士劇も復活しているとか。

一年生のとき、講堂で映画を見たことがあった。小さな窓がある映写室があった。上映された映画の内容は覚えていない。戦争が終り落ち着いて来ると、月に一回程度、学校で映画を観に行った。大抵、午前中に映画館の前に集合した。手をつなぐ子ら、蜂の巣の子供達など名前だけは覚えている。行った映画館といえば、中劇が多かった。そのころは中劇でも洋画を上映していた。また、日曜の午前中、子供達に各社のニュースを集めて見せる映画教室があった。クイズがあって、全問正解するとノートや鉛筆がもらえた。

四年生のころかと思うが、カラー映画(当時は総天然色といったが)をはじめて観た。「石の花」というソ連映画であった。石工の若者が女神(?)に一年に一度しか咲かない石の花があると聞いて、自分の結婚式をふって洞窟の中の奥にある石の花を求め歩くという筋であった。くすんで、ぼやけた色であったが、初めて観るカラー映画の美しさに驚いたものだった。
当時はアメリカ占領下、洋画といえばすべてハリウッド映画である。石の花より先にカラーのアメリカ映画が上映されていたかは判らない。これは細越さんの分野だ。

六年生のころかと思われるが、公会堂でハムレットを観た。全体に画面が暗く、父親の亡霊に会うシーン、オフィーリアが気が狂って仰向けになって小川を流れていくシーンを覚えている。
To be,or not to be,that is the question. なんて知ったのは大分あとになってからのことだ。
それまで観た映画といえば、アボット・コステロの凸凹物語、怪傑ゾロ、エノケンのちゃっきり金太などの娯楽映画で、これが最初に観たまともな映画であったかもしれない。中一になると、自転車泥棒、靴磨きなどのイタリア映画、黒澤明の羅生門など観た。

その後のことは割愛するが、立体映画という名に釣られて国劇に入ったことがあった。赤青のセロハンを貼り付けたメガネで観るもので、20分位の映画、だまされたと思った。30年、春休みに本格的立体映画「これがシネラマだ」を帝劇に観に行った。映像が3方向の映写機から湾曲した画面に映しだされ、中央の中ほどがS席、もちろんそんな席では観なかったが、音響も立体音響、ジェットコスターの場面では具合が悪くなるような感じを受けた。
感受性が強い幼少年時代、みなさん、それぞれに思い出のある映画、俳優、そして映画音楽があるでしょう。(9・23)
 

改築前の盛岡劇場
 

現在の盛岡劇場

盛岡劇場公式ページ(盛岡市文化振興事業団)http://www.malios.co.jp/~mfca/morigeki/index.html

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