e−たわごと No.155

投稿日 2005/09/30  金銀島はどこか
寄稿者 八柳修之

リタイアし、マンション住まいとなってから、経済的・物理的制約から本は出来るだけ図書館から借りることにしている。しかし、どうしてもほしくて購入した場合には本棚から一冊廃棄することにしている。
田口さんから送られてきた工藤雅樹先生の論文を読み触発されて、「岩手県の歴史」(山川出版社)を購入した。99年に出版されたもので、庶民の視点からの記述も多くなっている。一通り読んで巻末の年表を見た。

1611年(慶長16)8月、盛岡城下はほぼ完成、中の橋が架橋し、10月に三陸地方に大地震、大津波が発生、イスパニア大使セバスチャン・ピスカイノが気仙地方の湾を探査したとある。このセバスチャン・ピスカイノは、年表に見られるカタカナ文字の初めての岩手県にやって来た西洋人である。また1643年には山田湾にオランダ船が漂着したとあるが、この事件についてはこの本では採り上げられていない。

セバスチャン・ピスカイノは、一体、なんのために気仙地方の海湾を探査したのであろうか、興味があったので調べてみた。便利なのはインターネットである。ピスカイノは1611年に来日、4月〜10月にかけて日本の海岸を探検している。
16世紀の初頭、金銀島の伝説がヨーロッパに広がるにつれて、イスパニア、オランダの通商上の争いが起こり、金銀島発見の先陣争いによって日本の周辺も騒がしくなってきた。ピスカイノは金銀島を発見すべく来日したが、なんの成果もなく、1813年、伊達政宗の命により支倉常長がイスパニア・ローマへの使節として派遣される際の船に便乗してメキシコ経由で帰国した。(仙台市、女川町、川崎町のHP)

歴史はスペイン側から見てみると面白い。「大航海時代夜話」(井沢 実)という古い本を図書館で見つけた。以下、スペイン側の史実である。
『銀行家フッガーがヴェネチアの支店から受取った1592年5月29日附の通報によれば、東インドの蛮子海(マンジ:シナのこと)に在る日本島の背後に非常に金と銀に富んでいる新しい島が発見せられた旨の情報がスペインに入ったということが伝えられている。この情報は大航海に従事する国々の関係者の間に大騒ぎを起こさせた。ソロモンの財宝、アンデス山中のエルドラードの話とともに多くの冒険家の頭にこびりついていた希望的観測を確固なものとした。
1608年、イスパニア国王から太平洋の北緯36度に在ると言われている金銀島探検の命がピスカイノに出され、1611年、日本近海を探索せしめたが成功しなかった。これが動機となってオランダの東インド会社は二度にわたって探検隊を派遣したが、成功しなかったのみならず、2回目の探検隊が南部藩に捕らえれ大きな政治問題を起こしたのである・・・』
(後段は1643年、金銀島を求めてやって来たオランダ船が山田湾漂着し逮捕された事件。懲りずにまだ金銀島があると思い広く日本沿岸を探索していたのである。HP「かんせん東北、わが町物語山田町」に詳しい。)

この金銀島というのは果たしてどこにあったのであろうか? 
「あった」という前提にたち、以下は私の勝手な推測である。専門家ではないから推理は自由であり、これが面白いところだし、結果を披瀝したくなるのが悪い癖だ。
日本地図をみると北緯36度線は福井市と茨城県の鹿島を結ぶ線である。太平洋岸には松島湾まで島らしき島は存在しない。ピスカイノは北上を続け金華山から三陸海岸の島に金銀島があるのではないかと思い探索したものと思われる。
あるいは金華山を文字どおり金の華の山と思ったのかもしれない。そして大船渡で大地震と津波に遇いそれ以上の探索は断念したのではないかと思う。

この金銀島はカリフォルニア島(カリフォルニア半島のこと、イエズス会士ユーセビオ・キーノが1607年に踏査するまで島と考えられていた)ではなかったかと考えられていた。しかし、北緯25〜30度にあり、日本の背後にある島にしてはいかにも遠すぎる。
私はこの金銀島は佐渡ではないかと思う。佐渡は北緯38度にある点、引っかかるが・・・。前述の日本島の背後にある島ということや年代的にも一致するのである。佐渡金山は16世紀になり盛大であった。1592〜96年に鶴子鉱山、1601年に相川鉱山が開坑され、17世紀前半の産出量は年間金440kg、銀40t、当時世界屈指の金銀山であったことが、後世に判明している。

金銀島はなかったが、多くの地理上の発見があった。金は古来から人を惹きつける不思議な魔物である。(9・30)
 
大船渡にあるピスカイノの碑(大船渡市のHPより)

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