e−たわごと No.158

投稿日 2005/10/31  知られざる国 アンゴラ
寄稿者 八柳修之

日本代表サッカーチームは、11月15日、国立でアンゴラと親善試合を行うことになった。当初、日本はカメルーンとの対戦を予定していたが、予選で破れたため、次にアフリカ代表のコートジボアール、トーゴとの試合をオファーしたが断られ、そこで第3代表のアンゴラとの試合を行うことになったものである。大方の人にとっては、アンゴラなんて聞いたこともない国であろう。
10年間、勤めた会社がアンゴラで石油開発をしており、首都のルアンダに行ったことがあるので紹介したい。

アフリカの地図を見てみよう。アンゴラは南緯4〜18度の大西洋岸にあり、面積は124万平方キロ、わが国の約3倍、人口は約1300万人、旧ポルトガル領である。地下資源に恵まれた国であるが、現在のところ、その資源が生かされ国の財源になっているのは石油だけである。
パリ発0時のエアフラに搭乗すると朝7時には首都ルアンダに着く。近年、深海部に巨大油田が発見され、サハラ以南ではナイジェリアに次ぐ産油国、いまや世界の石油業界の注目を浴び飛行機はオイルマンで満員である。

しかし、アンゴラの歴史に目を転じると、アンゴラはアフリカ諸国の中で、最も早く植民地化されたが、最も遅く独立した国(1975年)である。資源に恵まれた国であるが故に、昔から争い事や戦争が絶えない。
1482年にポルトガル人が到達するまで、アンゴラはコンゴ王国として栄えていた。1592年、ポルトガルは総督府を設置、アンゴラは奴隷の供給地となった。少なくとも400万人もの人が奴隷として、主としてブラジルに輸出された。
1880年、列強の殖民地分割競争に敗れたポルトガルは、アンゴラとモザンビークのみの植民地を保有するにとどまり、逆に植民地支配を強化し、プランテーションで強制労働させた。
1950年代、アフリカ諸国が相次いで独立していく中で、ポルトガルはアンゴラを海外州に昇格させ、引き続き支配を強化・搾取し続けた。3つの独立解放闘争組織が誕生したが、互いに覇権を競い内戦となり、米ソの代理戦争と化した。ソ連の崩壊と共に当初、反米であった組織MPLAをアメリカが支援した。裏には石油があった。一方、逆に親米であった組織UNITAは密林に入りゲリラ活動を行った。その資金源はダイヤモンド産地を支配していたからであった。内戦が集結したのは、2002年2月、UNITAの首領が死亡したからあった。

30年もの内戦の末やっと平和が訪れたのである。海洋に次々と発見された石油(輸出の9割を占める)によって復興は急速に進んでいるが、地雷の除去、富の偏在など引き続き問題は大きい。

アンゴラはポルトガル人との混血(メスチィーソ)のほか、主要8部族から構成されている。そのため共通語はポルトガル語である。TVのニュースは同じものを4回、4部族語で放送している。
政府が力を入れているものにスポーツ振興がある。民族統一のために最も有効、効果的手段となるからである。とりわけサッカーはボール一つあればどこでもでき、石油会社は競って、ボールやTシャツを寄付している。16頁の日刊紙の4頁はサッカー記事である。サッカーが盛んなのは、ポルトガルのプロチームに入るのが夢であるからである。
アンゴラ・ナショナルチームはテクニックとスピードがあるとの評価である。そのうち日本でプレイする選手が出てきても不思議ではない。なにしろ「ブラジルの母はアンゴラ」ということわざがあるくらいなのだから。(10・31)
 

アンゴラの国旗は、ポルトガルからの独立にあたり、
ソ連の影響を色濃く受けたため、ソ連の国旗によく似ている。
 

首都ルアンダの海岸、内戦の結果荒んでいるが、
ポルトガルの殖民地時代は、アフリカのリオといわれた。
 

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