e−たわごと No.162

投稿日 2005/12/21  南部のお姫様
寄稿者 八柳修之

南部のお姫様を囲む会に、紙上でカデデ(加える、仲間に入れる)ください。
田口さんがいみじくも言っていたが、歴史にもしがあるとすれば、皇后のご学友とはいかぬまでも、同級生になれそびれてしまった我々である。
だが、私に「南部淑子さんはどんなお方でしたか」と、聞かれてもお答えするようなエピソードは持ち合わせていない。小学1年のとき同じクラスであったが、私にはお姫様は特別な存在であった。お迎えの車夫(死語)が、小使室(これも死語)で待っていた。その頃、男の子は女の子の名前を呼び捨てにしていたものであったが、南部さんだけは特別で「南部さん」と呼んでいたし、ましてや、いじめるなどはとんでもないことであったろう。

南部さんはその後、東京に引越されたが、5年か6年生の頃、再び盛岡住まいとなり、同じクラスとなった。華族は廃止されたが、学習院の制服を着ていて、やはり私には依然としてお姫様であった。
運動会にお父上の利英氏がお見えになった記憶がある。当時、眼鏡といえば黒縁であったが、縁なしの眼鏡をかけ、金の指輪をされていた。母にそのことを話すと、天皇家の姻戚、一条家の出の伯爵であったと聞き、やはり高貴な方は違うなぁと思った。
南部さんとは、その後、中学3年の途中まで同じクラスであったが、やはり口を利くことは畏れ多いことだと思っていた。中学卒業を待たずに3年の2学期から転校されたのは、すでにお妃候補にノミネートされ、鄙においてはならぬという、その筋の力があったのかは分からない。

それから40年後、南部さんにお会いできたのは1992年11月のクラス会であった。(記憶力があるからではない写真があるからだ)このとき、はじめて南部さんとお話することができたのであった。
学生時代下宿していたD家のお嬢さんが、学習院で南部さんと同級であったことがお話のキッカケであったが、それ以上の話しは進まなかった。南部さんが鈴木さんとかわってもお姫様へ意識から脱却しきれていない自分であった。

一つだけ、これはのちのクラス会で、ご本人の口から聞いたことであるので、封印を解いてよいと思う話がある。中1のとき、生徒の間で天井裏を探検することが密かに行われていた。中には梁から足を踏み外し講堂の天井に穴を開けた人(特に名を秘す)もいた。このような探検(?)は男の子の子に限られていたが、南部さんのご学友がお誘いしたのか、なんと南部さんも探検に加わってしまったのである。その事が、後藤市兵衛という謹厳実直な教頭の耳に入ることとなった。勿論、お誘いした生徒は相当説教されたらしいが、先生は南部のお姫様がそんなことをするなんて、と相当お嘆きになったという話しである。
お姫様の意外な一面である。 (12・21)

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