e−たわごと No.165

投稿日 2006/01/26  21世紀を担う子達の教育
寄稿者 小川智子

私が盛岡に来て、この3月末で4年が過ぎます。その間、初めて看護師教育に携わり、やっと看護ということを少し理解できたことと、今の世の中のあり方を、看護学生を通して真剣に考えることが出来るようになった気がします。短大での私の仕事は、学生の中でも、短大生活になじめない学生との話し合いをすることです。
 勉強に追いつけないから短大を止めると考える学生、看護師に適さないから辞めた方が良いといわれる学生などの悩みの相談相手になっています。私が、一番大切に思って相談に乗っている理由は、彼らが、丁度20歳になったところで、これから大人の仲間入りをする人達であるので、この時期に彼等に自分で立つ自立と、自分を律する自律をしっかり身につけてもらいたいと願うからです。
 彼等のこれまでの立場は家族や社会の中でサポートが受けられる受け身の立場であったわけですが、卒業して社会で働く時は、そこで、自分が組織のために、あるいは、社会のために何かを創造してゆく、クリエイティブな立場に立つことになると思います。その時に自分がどのような看護師になりたいのか、看護師であっても色々な職場がるはずなので、学んだ事を自分の人生にどのように生かして行くのかを、自分自身で考え決める事が、もっとも大切であると思います。
 彼等が、自分の進路を自分で決定することは、後々の人生にとって、大きな影響を及ぼすと思います。未熟な彼等は自分の意思決定に対して自信がないかもしれません。しかし、親や先生の意見を良く聞いた上で、自分自身で自分の進路を決めることは、例え、それを失敗した時でも、自分の考えたことに間違いがあることを考える機会になりますし、何よりも上手く行かなかった理由を人のせいにしないで、自分の学びとして考え、次のステップに生かすことができると思います。一方、自分で決定したことが成功した時は、充実感を味わい、喜びを感じる時が持てるので、それが苦しい道のりであっても、次に、もっと大きなことに挑戦する力となると思います。

このような考えで学生と話合っていると、とてつもない時代の変化に驚かされることがあります。それは、日本人が脈々と受け継いで来た道徳観が失われていること、ものの見方に繊細さや情緒がなくなって来ていることです。社会がグローバル化し、アメリカ的であることを良とする風潮は、合理的であり、能率的かもしれませんが、日本人は外国人にない良さを一杯持っていたはずです。その良さが優秀な人を育て、外国人にも、日本人を尊敬させてきた所以であったはずで、自己中心的な行動や言動は「恥」であり「不名誉」なことであったはずです。
 看護学生は、患者の気持ちを、その表情や言葉、または動作などの観察から考えて、適切な看護を提供できる能力を育てていかなければならないと思います。また、患者には、様々な方がおられるので、ある程度の教養や情操を身に付けていないと、患者とお話しても、すぐに相談相手になる頼れる人かどうかを見破られてしまいます。

日本人の道徳観は、武士道精神である「慈愛」、「誠実」、「正義」「名誉」、「恥」、「卑怯を憎む心」などが、260年ほど続いた平和な江戸時代に、戦国武士の感動的な心や精神が、歌舞伎や浄瑠璃、講談などによって庶民に伝えられて育ったものです。また、日本人の感性の鋭さは、豊かな国土の変化、山あり、谷あり、雄大な川や海、それにはっきりした四季の変化により、自然そのものが非常に繊細に創られていることで、育まれたものです。桜の花に対する気持ちや紅葉の繊細な色合い、また、虫の音に耳を傾ける繊細な心などは、英語にはない色々な言葉で現されています。また、一方では、洪水、雪害、地震などにさらされるため、自然に対する畏怖心を持っています。

このような自然環境を持った日本人は、儚くも悲しい宿命を共有する人間同士の連帯や不運な人への共感などに心を揺さぶられる感性や謙虚さを育て、それが、日本人の豊かな情緒となっていると思います。それが日本の平安時代からの文学に「もののあわれ」として書かれていることを考えれば、日本人は朽ち果てる物にさえ、その美を見いだす、天才的感性の持ち主だと思います。

このような情緒や道徳が失われつつあることが、学生と話あい合っているとき、ここ岩手でも起こって居ることを知り、私は、非常な悲しみを感じました。
 新渡戸稲造博士が世界に知らせた武士道精神は、今や、世界の種々な国の知識人により、本来、人間が持っていなければならない道徳や倫理観の規範であると考えられています。その新渡戸稲造博士は岩手の出身であること、また、岩手は人間の感性や情緒を育てる豊かな自然を日本一持っているところです。
 このような環境は、優秀な人材を育てる素地を持っているところなのです。それは、賢治や啄木が少ない言葉で歌い上げていることでも理解できます。今、岩手に住む我々が憂い無ければならないことは、この岩手が持つ素晴らしい歴史、文化、そして美しい自然と、新渡戸稲造の精神について、岩手の子供達に教えていないということです。

私は、看護学生に接して、彼等が純粋で、素直で、感情豊かであることが良くわかります。しかし、日本一のお人好しが住む岩手でも、自己中心的な考え方や行動が横行し始めているのを知ったとき、胸が締め付けられる痛さを感じるのは確かです。しかし、私一人の力ではどうにもなりません。今、ここで、子供達に道徳を教え、情緒を育むのは、この岩手に住む大人達であり、皆で力を合わせて頑張らなければならないことでは、ないかと思うのです。
(平成18年1月25日 盛岡北RC 卓話 小川智子)

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