e−たわごと No.177

投稿日 2006/03/22  旧友との偶然の出会い
寄稿者 竹生健二

世の中は広いが、それでも長いこと会ってもいない二人が、全く約束もなく偶然出くわすことがあるのだから不思議だ。一歩譲って、ほぼ同じ時間帯に同一の場所に居合わせたとしても、数秒の差ですれ違うこともある。或いはすぐそばに居ても、目の向きが相手に向いていなければ、相手が認識できないのだから会うことが出来ない。私の場合は以下の三件が偶然の出会いだった。

最初は1958年4月30日の御茶ノ水だった。大学生活が二年目に入ったばかりで、学生証の更新を受けたあと家に帰るため、中央線から総武線に乗り換えるときだったのではないか。山中莞爾君に会った。立ち話で約20分話す。彼は今日新しく下宿の紹介を受けたので、新住所が定まったら手紙をくれると言っていた。

次ぎは同じ年の9月7日の房総西線 八幡宿駅だった。当時私はアルバイトの家庭教師を務めるために、毎週日曜日に国鉄のディーゼル列車に乗って八幡宿の中学生三人の勉強を見ていた。帰りの駅のプラットフォームで小川郁司君に会った。一緒に本千葉まで乗って、そこで別れた。彼は芸術大学を目指して勉強中で、千葉に住んでいた筈だ (下記註)。

三度目は1963年8月1日の夜、中央線の国電の中だった。その日はドイツ留学が決まった国会図書館員の職員に、留学生試験の経験談を聞かせてもらい、二次会を21時半に終わらせて仲間と山手線で有楽町から東京駅まで、そこから中央線に乗り換えて御茶ノ水へ行く途中だった。同じ車両の向かい側にどうも見たことのある人が座っている。すぐ思い出した。中学校で生徒会の書記を二人で一緒に勤めたこともある佐野紘子さんだ。佐野さんは男性のお友達と一緒、こちらは明日から会社の仲間と白山登山に行くので明日朝が早い。私の住所を書いて彼女に渡し、手紙をくれるようにとお願いして別れた。もし山手線でそのまま秋葉原へ行き千葉行きの電車に乗っていれば、こうした出会いもなかっただろう。彼女は当時東洋レーヨンに勤務していたと思う。その後アラスカへ渡り、数回手紙が来たが今では交信はない。

こうした偶然がこんな頻度で起こるのなら、すれ違いなどはもっと頻度が高いのではないか。この瞬間にも知人がすぐ傍に居て、偶然の出会いに近い状態にあるのかも知れない。皆さんはどんな経験を持っていますか。

(註) 小川君にはその後結婚式の披露宴によばれる光栄に浴した。電通勤務中の職場結婚との紹介があった。その後小川君からは毎年きれいな花の絵を描いた年賀状をもらったが、そこには「小川苑子」の名前があった。それから暫くして日曜日の三大新聞紙上に、小川苑子名の、先の年賀状と同じ様な花の絵をあしらった全面広告が何度も掲載されたのをご存知の方も多いと思う。

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