e−たわごと No.184

投稿日 2006/03/29  福ちゃん
寄稿者 竹生健二

小学校、中学校時代を通して福田君とは図画や工作を一緒にできる共通の楽しみがあって、親友として付き合ってもらった。天神町に住んで居られたので、よく遊びに行ったのを覚えている。
例によって岩手公園へ二人で遊びに行ったときのことだ。当時、公園の本丸跡あたりにあったサイレンがお昼の時報がわりに勢いよく鳴るので、それを聞きにサイレンの塔の近くで、と言うよりは塔に登って遊んでいたら、遠く盛岡駅の操車場が北上川の対岸に見えた。白い蒸気を吐きながら動く機関車が小さく見えたので、福ちゃんと行って見ることにした。どこをどう歩いたか全く今となっては覚えていないが、うまく操車場に着いた。機関車が向きを変えるターンテーブルがあった。また貨物車の出し入れを忙しそうにやっていた。機関車が過ぎ去ったあと、レールの上に屈みこんでレールに耳を押し当てると、機関車の音がはっきりと聞こえるのにびっくりした。

1952年8月に千葉に引っ越す直前、福ちゃんの家に一時預けてあった電車の模型を引き取りに福ちゃんの家に伺い、ご一家の暖かい送別の言葉をいただいた。

その後、高校時代は盛岡と船橋とに分れて住んでおり会う機会がなかったが、大学受験のころは福ちゃんも上京していた。1956年5月27日には松田君が福ちゃん、佐藤君、それに私を誘ってくれて、雨の中を渋谷のハチ公前で待ち合わせ、松田君のおばさんの家で我々浪人連中を慰めてくれた。福ちゃんはこの当時船橋市に下宿しており、私の家のある西千葉に近かったから、これをきっかけに8月11日、9月7日、10月27日、明けて1957年1月7日と、たびたび我が家を訪問してくれた。そして3月25日には慶応大学合格の朗報を持って再び我が家に来てくれた。それから会わなくなって久しい。
 

福田君
 

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