e−たわごと No.185

投稿日 2006/03/30  模型工作
寄稿者 竹生健二

模型工作といえば、第一人者は何と言っても田口明君だと思う。特に彼の作った「A1」というゴム動力の模型飛行機は滞空時間が誰よりも一番長く、誰も真似ができなかった。彼はまた電池でスクリューを動かす模型のモーターボートでも、きれいにラッカー仕上げをして玄人も裸足の出来栄えだった。

私は小学生時代から模型電車の製作を福ちゃんと一緒にやっていた。桜山神社の境内のドブのような小川を跨ぐようにして、たくさんのお店がならんで居た。そのうちの一軒が模型屋さんで、ここへ福ちゃんと一緒によく通った。これに私はすっかりはまってしまい、32ミリゲージの電気機関車を作りたかった。けれど、台車、ボディ、車輪、車軸、それになによりもモーターなど、組み立てに必要な部品全てを揃えるには大変お金が必要だった。最初の日は台車だけしか買えなかったが、これにモーターを搭載して車輪を取り付け、ボディをかぶせたらどんな機関車になるだろうかと、楽しみに胸を膨らませて家路についたのを今でもありありと思い出すことが出来る。結局何とかお金を工面して機関車は出来上がった。その後、モーターなしの蒸気機関車、無蓋貨車、客車一両を手製で作って小学校の工作展覧会に出展したところ、何かの賞をいただいた。

福ちゃんのほかに模型電車を本格的にやっていたのが、梅津健也君だった。何度か本町通りの梅津旅館に上がらせてもらい、彼の作った機関車を見せてもらった。私の機関車は動輪二軸に補助輪二軸の2B型だったが、梅津君のは動輪がテンダー式四軸に補助輪二軸の2D型で、モーターを搭載しない側の台車には釣合い用に鉛の錘を取り付けてあり、正転・逆転切り替えスイッチまで装備していた。交流100Vを0から20Vまで段階的に変換できるスライダック (トランスと呼んでいた) を操作して、広い部屋に据えたレールの上をこの大型機関車が走る様に魅了された。実は私はトランスが買えなかったので、梅津君の所に自分の機関車を持ち込んでは走らせてもらっていたのだ。梅津君の熱はまだ冷めてないのだろうか。

いまでも模型電車を復活させたい気持ちはある。天賞堂へ行くとたくさんの機関車が置いてある。Nゲージが多く、32ミリは殆どない。それだけ部品の加工精度も向上したのだろうし、なにしろ狭い家の中では32ミリでは装置が大変だ。私の勤めていた会社の元同僚の中には、遊園地で使っているような石炭焚き蒸気機関車を自分でボイラーから手作りで製作し、自宅の庭で動かそうと今精を出している人も居るから羨ましい。
 

小学校六年の工作
 

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