e−たわごと No.192

投稿日 2006/04/03  映画教室
寄稿者 竹生健二

子供の娯楽が少なかった終戦後から1950年代前半にかけて、盛岡の公会堂で「映画教室」と言うのがあった。勿論入場料は必要だったが僅かなもので、多分子供むけ短編の漫画映画、今で言うアニメ映画が多かったと思う。公会堂の大ホールではなく、脇にある小さい部屋での映写だったようだ。弟と妹を連れて見に行った或る時のこと、映写機が故障して映画教室が中止となった。係りの人が申し訳なさそうに入場料を返してくれたのだが、何だかこっちがきまりが悪くなるような金額で、係りの人に同情してしまった。

本町通りから中央通りへ、南に下る道路が何本かあるが、そのうちのどれか、当時としてはかなり広い通りのゆるい坂を下って行くと、途中左側に二軒並んで映画館があった。そのうちの一軒で、毎日曜日の午前中に「ニュース映画教室」をやっていて、それをよく見に行った。勿論テレビなどはない時代だから、新聞やラジオと違ってニュースを動画で見られるとあって人気があった。竹脇昌作の特長ある語りでも人気があった。国内版では毎回「東京軍事裁判」が映し出されて暗い思いになったり、国際版では国際連盟の安全保障理事会において、日本の国際連盟加盟決議案に対して毎回ソ連が拒否権を行使する報道に歯がゆさを感じたりした。

このころ「総天然色映画」なるものがやっと始まった。最初に見たのは、おそらく学校で連れて行ったものだと思う、ソ連の「石の華」という映画だった。田口写真館の近くの内丸映画館だったと思う。また多分イギリス映画ではなく、アメリカ映画だったと思うが、「緑色の髪の少年」というのを見た。両方とも筋は全く忘れてしまった。

私がまだ盛岡にいた頃だから、1952年以前にNHKテレビの試験放送が始まった。盛岡駅の待避線に受像機と関連機器を積載した客車二両を停めて、真っ暗にした車両の中で受信状態を見せてくれた。しばらくして本放送の放映が見られるようになった。東京の街中では、力道山の空手チョップを見る人で黒山の人だかりになったと言うのは有名な話だ。
 

公会堂 1995年撮影
 

内丸映画館 1995年撮影
 
 

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