e−たわごと No.194

投稿日 2006/04/04  山菜採り
寄稿者 竹生健二

私たちの小学校、中学校時代は、戦争末期から終戦後アメリカ軍の駐留の時代だった。食べるものにも不自由し、親がどんなに苦労したか子供ながらにも思い出される。食料不足をどれだけ補えたかは疑問であるが、蕨や山芋を採取するために兄弟でよく浅岸の奥、多分 二ッ森山の方角だったと思うが、に出かけた。山芋は生姜のようなかたちをしていたが、生姜よりはずっと地中深く埋まっており、シャベルなどはなかったから貧弱な道具で掘り起こすのに苦労した。これをお釜で煮て食べると、結構甘くておいしかった。サツマイモが盛岡で食べられるようになるのは、それからずっと後のことだ。
我が家での煮炊きは、素焼きの大きい「かまど」を使っていた。燃料は薪だったが、太い丸太で買って、これをかまどに合う大きさに割るのは子供の仕事だった。生木だったから、よく乾燥させなければならなかったが、それでも新聞紙などではなかなか火が着かず、そのために秋には杉の落ち葉を取って来るのが子供の仕事だった。我が家の近くでは大日如来の裏山が杉林だったから、落ち葉を集めては持って行った炭俵に積めて持ち帰った。所有者のいる山であったろうが、誰が入って落ち葉を集めて持ち帰っても怒られない時代だった。
秋には田んぼでイナゴを取り、佃煮にして食べた。これは1952年に千葉に引っ越してからもやっていた。

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