e−たわごと No.201

投稿日 2006/04/13  小学校の校舎の思い出(3)
寄稿者 竹生健二

(6) 水路
校舎と校庭の間には幅2メートルくらいのコンクリートの通路があり、その脇に側溝があった。その外側にこれも幅2メートルくらいのじゃり道があり、南門から講堂の脇を通って突き抜け通路と出会い、さらに体練場のところまで (その先「東通路」まで) 通じていた。このじゃり道と校庭との境に、貝塚息吹が数メートル置きに植えられていた。

(7) 生徒入り口
北校舎は体練場の脇、西校舎では講堂の脇にあった。広い入り口で下駄箱があり、スノコが張ってあった。

(8) 階段
北校舎、西校舎とも生徒入り口の傍にあり、さらに北校舎では突き抜け通路の脇に、また主玄関のある暗い廊下の角のところにもあった。体練場の脇の階段では、二階から急いで降りるときには、数段上から飛び降りるのがはやったことがあり、Y君が飛んだときに板が割れて穴があいた。

(9) 便所
北校舎では体練場の手前、西校舎では校舎の真ん中辺にあり、それぞれ校庭とは反対側に突き出ていた。男用と女用がどう区別されていたか、教員用はどこにあったか、私の記憶では定かではない。

(10) 防火扉
火災時の延焼を避けるために、北校舎と西校舎の間に防火扉があった。時たま開閉試験をしていたと思われるが、私は一度も閉じている状態を見たことがない。

(11) 給食調理室
終戦になってからだと思う。給食制度が取り入れられ、主玄関の近くの部屋が調理場になった。生徒の親が交代で炊事をしに来たのではないか。最初は脱脂粉乳だけで、それをアルミのバケツに入れてもらって、交代で係りになった生徒が時間になると炊事場まで受け取りに行った。一度はねずみが入ったとかの騒ぎがあったと思う。

(12) 教員室
北校舎一階の、主玄関近くにあった。先生の用事を受けて教員室に行くときには、扉を開けたら先ず「一年第二学級 竹生健二です、千葉智恵子先生の用で何々を取りに参りました」と大声を上げて名乗ってから入らなければならなかった。戦争が終るまでだった。

(13) 工作室
北校舎の一階、便所の脇に、これも校庭の反対側に直角に張り出して位置していた。頑丈な工作台、その一台ずつに万力が付いていて、また奥の方には足踏み式の「糸のこぎり機」が何台か置いてあった。これを使って本立ての製作をしたのを覚えている。いくつかの作品は「模型工作」のところに掲載した写真に写っている。理科室がどこはにあったはずだが、この二階だったのだろうか。

(14) 礼法室
工作室と対称の位置にある張り出し教室の二階部分が和室仕様の礼法室だった。戦争中は修身という課目が有ったから、お辞儀の仕方やら何やらを教わったのではないか。

(15) 生徒調理室
礼法室の下の部分が調理室だったとおぼろげながら思い出す。戦争が終って家庭科が導入されたとき「各自グループで、何か自分たちだけで出きる料理を作ってみなさい」といわれて、脳のないわがグループは茶巾絞りでごまかした。できたものを先生にお出しして点数を貰うのだが、さて何点だったのか。

(16) 音楽教室
北校舎の二階の一番東寄りが音楽室だった(図5)。この教室での忘れられない思い出は「マドンナへの憧れ」のところで別記した。
(続く)

(図5)音楽教室

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