e−たわごと No.203

投稿日 2006/04/15  小学校の校舎の思い出(5)
寄稿者 竹生健二

(19) 講堂(図8)
西校舎を北側から歩いてきて、生徒入り口を越してからすぐに左に折れると、一旦狭い廊下を通ってから講堂に入る前に前室がある。ここには講堂の演壇と言うか舞台と言うか、その裏側を通って講堂の舞台の、向かって左側へ抜ける通路がある(図9)。学芸会のとき、出演者が行き来する通路でもある。演壇中央の、奥まった壁には「御真影」を掲げる扉があって、終戦までのわずか一年くらいは、あらゆる行事で「御真影」に向かって最敬礼を、また「宮城に向かって、礼!」という掛け声に従って礼をした※。
講堂への入り口は先に述べた狭い廊下だけでなく、外からもコンクリートの階段を数段上れば入れた。北側中央と西側にあって、学芸会のときの張り出し舞台をつくるために各教室から教壇を運び入れるのに使ったりした。

さて、講堂の裏にあった通路に関しての逸話はあまりにも有名だ。この通路の天井から講堂の天井裏へ上がれることを密かに知った私たちは、よく天井裏で鬼ごっこみたいなことをして走り回った。あるときT君が足を踏み外して天井の吸音材、確か「テックス」という材料名だったと記憶しているが、その板に穴を開けてしまった。これで天井裏での鬼ごっこが発覚して、その後はここで遊べなくなった。これ以降T君は苗字の下にテックスという接尾辞を付けて呼ばれるようになった。

ところで、この件については八柳君が2005年12月21日付け「南部のお姫様」にも書いてあったが、彼の記事にはお姫様を連れ出した御仁が後藤市兵衛教頭(附属小学校の教員一覧に後藤市兵衛の名前はないが)に叱かられたとある。私はお姫様を案内できる立場になかったし、ましてや教頭に叱られた覚えもない。できれば八柳君に、それは竹生ではないことだけでも証言してもらいたい。

※追記:一年生の時はまだ「岩手師範学校附属国民学校」であり、新年の式典や天長節などの際は、桜山神社脇の師範学校校舎で挙行される式典に師範の学生と一緒に参列した。ゴムの長靴など手に入らない時代に、雪の中を歩いて式典に臨んだ。難解な言葉が並ぶ教育勅語が読み上げられても、何のことか分らずに黙って聴いていた。
(この項 完)

(図8)講堂
 

(図9)講堂平面図

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