e−たわごと No.212

投稿日 2006/05/01  北海道への修学旅行記(1)
寄稿者 竹生健二

いまでこそ中学校の修学旅行としては、飛行機を利用して九州から東京ディズニーランドへなどというのは珍しくない。海外旅行まであるという。ところが昭和27年、即ち1952年当時、中学校で盛岡から札幌へ6日間の列車旅行をすると言うのは珍しかったであろう。それだけに引率の先生方もご苦労されたと思う。私がこのときの旅行記をノートに鉛筆書きで書いたものが24年前に見つかった。それとは別に、旅行中にスケッチブックを持ち歩き、その日その日の記憶を、夜 宿に着いてから描いたものがある。この旅行では写真が殆どないので貴重な資料だと思う。そこで今から半世紀以上前の旅行記を、少し冗長であり、且つ中学三年生の拙い文章ではあるが、皆様のお許しを得て転記したいと思う。

昭和27年 (1952年) 7月19日
午后3時、バスで盛岡駅に向かう。山館先生、宇部先生等も一緒に同じバスに乗って来られる。3時20分近くに駅に着く。友達も大部分来ていた。3時30分すぎ 級友と共に写真を撮る。4時21分の下り青森行に乗るため、三番フォームに出る。多数の父兄の見送りを後に、予定より6分遅れて発車、一路青森に向かう。渋民、好摩付近では姫神山を大きく右に見、左に半分かすんだ岩手山を眺めることができた。幸いにも天候にもめぐまれて、よい修学旅行ができるように思われた。沼宮内駅からは上り傾斜が急になり、列車はあえぎながら登り、奥中山トンネル後は下り坂となり速度は増した。小繋付近で又平地に戻ったが目時ではもううす暗くなりはじめて景色も次第に黒一色にぬりつぶされてゆく。尻内駅ではもうあたりはすっかり暗黒の闇となり、駅ごとの灯が目立ってきれいになって来た。8時すぎになると、もう昼間の疲れが出て来て、椅子を利用して横になる。

寝就かれないので駅ごとに起きて見る。もう終着時刻に近い時、青森の一つ手前の駅から、はるかに青森駅フォームの灯が見えた。一つ一つの灯がだんだん大きくなって、列車の横を流れる (この灯は皆きれいな提灯だった)。青森到着は時間丁度、23時09分であった
 
 

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