e−たわごと No.214

投稿日 2006/05/02  北海道への修学旅行記(2)
寄稿者 竹生健二

昭和27年 (1952年) 7月20日
連絡船待ち合わせのため二時間近く待つ。船名は第八青函丸で1時40分青森出港となっている。1時近く乗船。三等の蒸し暑い部屋に横になる。

目が覚めた。5時数分すぎ。船は大海原を北へ進む。洗面 (二等の洗面所を使わせてもらった) 後、数枚のスケッチを終えて休む。先程下北の半島を通過、津軽の沖へ出る。起きた時からの悪天候も次第に晴れて霧も薄くなって来た (この間、機関室、レーダー室に入れてもらう。レーダー室は生まれてはじめて覗いてみた。スクリーンには渡島半島がくっきり映っていた)。長い間 大きな湾内を走りつづけて来た船は函館の港に入る。港には連絡船やその他の船が碇泊している。岸壁に横づけになった船から、発車まであと数分しかない列車にかけこむ。

列車は長万部へ向けて発車、函館は漁港であるために、線路に沿って網を干したりイカを干したりしている。いくらか空が晴れて間もなく、左に大沼が見えはじめた。どす黒く濁った沼に沿って列車は林を分けて進む。わずかにガスのかかった駒ケ岳が見え出した。まだ幼年期の山で深い谷は見えず、わずかに道の様に上から下へ刻みがあるだけである。赤井川付近からは右に荒野、左に山となり、荒野には大きく川の様に掘られた所もあり、10米もあろう崖の下を茶色の川が流れて、そこに発電所がある。森付近から右手に海が見え出した。いつの間にか疲労からの睡眠に落ち、国縫付近で目が覚める。間もなく長万部に着いた。ここで豊浦行きの列車に乗る。長万部〜静狩間は一直線である。列車は一おもいに走る。静狩をすぎると景色がよい。絶壁に波がくだける様をスケッチした。が間もなくトンネルに入り、又出てはすぐ入る。6コのトンネルをすぎて礼文に着く。発車後数分して虻田に着く。ここで下車し、道南バスに乗りかえ洞爺湖に向かう。山の上を走るバスの窓から少しガスに包まれて洞爺湖が見える。とても美しい。洞爺湖に着いて富士屋旅館に入る。すぐ遊覧船で洞爺湖を岸伝いに眺め、昭和新山資料館近くで下船。写真を撮り、資料館前で昭和新山の生いたちの話を係りの人から聞く。

『昭和18年12月25日、200回の地震がこの付近に起き、又翌年1月に入っても一日20〜30回もの地震が続いた。そして麦畑に割れ目ができて少しずつ隆起をはじめた。その後多くの火山灰をふき出しながら畑は少しずつ盛り上がり、山へと姿を変えた。昭和19年、20年と次第に活動も不活発になり、遂に21年はじめに活動は停止し、その後は頂上付近は湯気を吐く様になった。そして満二年で平野を300メートルも押し上げ、海抜400mの山となった』

以上が概略の話である。話をきいた後、登山。麦畑をすぎていよいよ坂を内側から登る。120〜130mぐらいの所まで行くと、もう熱くて登ることができない。写真を撮った後下山。船に乗って宿へ帰る。
 

連絡船第八青函丸
 

函館本線 森付近
 

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