e−たわごと No.222

投稿日 2006/05/05  かばんと靴
寄稿者 八柳修之


 
竹生さんがランドセルと長靴の思い出を書いていたが、私にも思い出がある。
昭和19年4月入学、竹生さんの記憶のように入学式の後、天神様へお参りした。女の子と手を繋いで行った。今でもその子の名前を覚えているが、ヤンタガルであろうから書かない。
戦時下、3年生以上は男子組と女子組とに分かれていた。したがって、我々の世代からは正真正銘の男女共学となる。
当時は一年生といっても、ピカピカではなくすべてがお古であった。帽子、ランドセル、丸襟の小学生服、そして靴まで従兄のお古であった。従兄とは9歳も違うのだが、物持ちがよかったというのか、物不足を予想したのか、ランドセルは皮製、靴は編上げであった。当時の通学スタイルは、防空ズキン、胸には住所、名前、血液型の名札、手拭を腰にぶら下げていた。集団登校で八幡様の前に集合し、そこから上級生に引率され揃って登校した。附属だということで、城南の生徒に襲われることが度々あった。
3〜4年のころになると、靴が小さくなり下駄となり、ランドセルは母が帯芯で作った肩からさげる鞄に換わった。お古の長靴もよく破れた。父がタイヤのチューブを切ってやすりをかけ、闇市で買ったゴムのりで修理した。
コウモリ傘は少なく番傘であった。ときどきズック靴などの特配があったが、数が少なかったので、先生が生徒の実情を考慮した上で抽選となった。
長靴について言えば、わらの長靴、ボロボロな靴を履いている者が優先された。
私も長靴については優先され、貰った切符で肴町の熊長というお店で三つ馬印の長靴を買えたことを覚えている。その後、世の中が落ち着いてくると、学生服は砂子田(葛西橋の辺りに縫製工場があった)、かばんは大通りに盛田かばんというお店が出来、大層繁盛した。
(5・5 八柳)

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